どうもみなさまこんにちは。
鹿児島の山中で、電気とガスと水道を契約せずに暮しているヨホホ研究所のテンダーです。
(少し前に、オフグリッドの話で取り上げられて、アースガーデンにお邪魔しましたよ!)
この5月から以後月イチで、アースガーデンに寄稿することになりましたので、お引き立てのほど、どうぞよろしくさん。
» 1.10年振りに参加したアースデイ東京!
[photo by Photo by Sho Hiratsuka ©アースデイ東京2016実行委員会]
というわけで、アースデイ東京2016にゲストとして呼ばれたので、飛行機でビューンと鹿児島から参加。
前夜祭、24日のメインステージでのトーク、後夜祭と出番は3ステージ。
[メインステージでは、佐藤タイジさん、川島直さんたちと「えんたくん」を使ってトークセッション]
何を隠そうわたくし、2006年に青森県六ケ所村で「アースデイ六ヶ所」を主催していて、そのきっかけは2005年のアースデイ東京への参加であった。
よって、ここに来るのはおよそ10年振りくらい。
10年振りに訪れたアースデイ東京は・・・
[Photo by Gentaro Todaka ©アースデイ東京2016実行委員会]
む。
[Photo by Sho Hiratsuka ©アースデイ東京2016実行委員会]
むむむ。
10年前とあんまり変わってないような。
会場である代々木公園の中は、オーガニックな商品や食品、いい感じの生産者さん、社会問題の啓発ブース、環境界隈の友人知人、そしてたくさんのお客さん。
そして今年は、電力自由化の勧誘ブースが多かった。
ちなみにわたくしは、鹿児島で電力契約せずにオフグリッドで暮らしているので、
「お兄さん、電気の買い先は選べるんですよ!」
と勧誘の方に笑顔で言われても、
「ぁぁ・・すいません! 自分、そんなつもりじゃ・・・!」
と顔を覆いながら、ブースを小走りに去るばかり、今思い出しても甘酸っぱいメモリアル。
その他にライブステージもあったんだけど、歩いてると呼び止められるし、いろんな人を紹介されるし、別イベントへの出演も重なって、ほとんど音楽ステージは見れなかった。残念。
» 2.そもそもフェスって理想を持ち寄る空間じゃん
アースデイ東京主催のひとり、南兵衛さんが手がけるナチュフェスカフェの第3回に呼ばれた時に、フェスについて考えててピコーンと閃いたんだけど、そもそも野外フェスってそれぞれの理想を持ち寄る場だな、と思いまして。
大好きなミュージシャン、どうしても食べたい料理や食材、心地よいマッサージ、会いたい人、素敵な商品、未来感のあるサービス・・・etcをドドッと持ち寄り、それが一堂に介す空間がフェスなわけで、じゃあそれって何のために一堂に介すの? って話だと思うのね。お金も手間もヒマもかけてさ。
もちろん、魅力的なコンテンツを集めれば商業的に成立するというのはあるけれど、より大きな社会的役割でいえば、フェスに関わる各々が、理想の暮らしのカタログ(見本市)を他者に見せるためなんじゃないか、と思ったわけです。
[Photo by Gentaro Todaka ©アースデイ東京2016実行委員会]
というのも例えば、
毎夜、佐藤タイジさんがすぐそばで歌ってくれたら最高にハッピーだし、手間暇かかったオーガニックな全粒粉パスタを毎日でも食べたいわけじゃん。丁寧なマッサージだって毎日してもらいたいし、日々環境意識の高い人と集まって話してたら、触発されて楽しいしさ。
だけど、現実はそうじゃない。
日々、そういった理想的な、今の社会で希少なものを求めればすごくお金を使うだろうし、そもそも提供してくれる場所(接点)が少ないから希少なわけで。
ところがフェスの会場では、今のところ希少らしきものが、あちこちから集まる。
その、希少らしきものが山積みされた状況を前にした方に、わたくしは尋ねたいのですよ。
「ヘイ、御仁! 希少なものが目の前にたくさんあるぜ。YOU 一体これからどうするの?」
って。
» 3.ユーザーとクリエイター。境界線はグラデーション。
希少なものを前にした人には、2つの選択肢があるとわたくしは思う。
それは、フェスを消費するユーザーのあり方と、フェスから盗み学び変容するクリエイターのあり方だ。そしてその境目は明確に分かれてるわけじゃなくて、グラデーションなのかもしれない、と最近気がついたのでした。
めっちゃ美味しいパスタを作るお兄さんが、休憩時間に向かいの海外支援NPOからアフリカの太鼓を買ったり、その隣の布屋さんで草木染めを習ったりもするわけで、そういう意味で、多くの人が縦横無尽にユーザーとクリエイターを行き来できるフェスってのは、層が厚いというか、多様で楽しいなぁ、と。
そしてアースデイ東京は、資本主義が中心に据えられたイベントよりかは、聞いたら教えてくれるというある種のまっとうさが担保された場のように思う。(ちなみに今までアースデイでわたくしは、「それは企業秘密なので!」などと言われた記憶はない)
かたや、ユーザーはユーザー、クリエイターはクリエイターと猫も杓子も固定化されているフェスは参加してもつまらない、というのがわたくしの印象。
» 4.始めと終わりに答えがある
消費に安住するユーザーを脱して、変容を志向するクリエイターになるには、一体どうしたらいいんだろう。会場のけやき並木を歩きながらしばし考える。
[Photo by Sho Hiratsuka ©アースデイ東京2016実行委員会]
たとえばこの会場に並んだ商品はおそらく全て、
「採掘(採集) → 加工 → 流通 → 消費 → 廃棄」
のプロセスを通る。
もしかしたら、ユーザーというのはこの5つのプロセスのうち、
「消費のみ、もしくは廃棄まで」の1つか2つのプロセスしか関わらない人のことかもしれない。
自分が消費者の立場を離れ、生産をする立場になるということは、このプロセスに関わる範囲を広げることにほかならない。最低でも「採掘(採集) → 加工 → 流通」の3プロセスにも関わることになる。
わたくしは、8歳の息子に国語を教えるときに、
「文の意味がよくわからなかったら、書き出しと終わりだけを結びつけてごらん。そうすると誤魔化されずに大事なことがわかるから」と説明する。
もしそのやり方をここで採用するならば、
5つのプロセスが教えてくれることは、わたくしたちは「採掘して廃棄する」ということだ。
どんなに環境に優しい商品を買っても、おしゃれな贈りものをもらっても、全ての商品は「採掘と廃棄」を避けることができない。だからこそ、なるべく壊れないもの、廃棄した後にも生態系で循環できるものの重要度が増すのだと思う。
逆を言えば、プロセスのうち、1つだけの良さを宣伝する商品は、他の4プロセスについては実質的に「語れない」ということだ。
はたして電気の小売でクリエイターは生まれるだろうか。
けやき並木はまだ続く。
» 5.フェスはSFのように、希少なものを潤沢に変えるのか?
Wired編集長のクリス・アンダーソンは、著書『Free』の中で、
「SFは、希少なものが潤沢になった状況を仮想するものだ」と説明したんだけど、ひとたび希少なものが潤沢になると、価値基準が変わる。
身近な例で言えば、ライフコストがほとんどかからないわたくしは(何しろうちの家賃は年間1万円!)、お金や稼ぎというものに対する感覚は、都会の多くの人とは違うと思う。暮らしが切羽詰まっていないので、稼ぐことよりも環境や政治に対しての中長期的な人生の投資の方が楽しい。
潤沢さが価値観を変える、というクリス・アンダーソンの言葉を思い返すことでわたくしは、この10年間で希少なものが潤沢になった「近未来」を、アースデイ東京に期待していたのだと気付いた。だけどどうやら、現実はそうならなかった、ということらしい。
10年前と同じように、希少なものは希少なまま。
大勢の出店者さんが、お客さんを求めていた。もしくは助けや協力を求めていた。
わたくしが見た限り「オフグリッドで電気が有り余ってるから、電気窯で炭焼いて、温暖化解決のためにCO2固定しようかと思ってさ!」とか、
「うちの地域は問題らしい問題がないから、むしろ困ってる地域の助けができますよ!」とか
SF的な、潤沢ゆえの次なる展開はなかったように思う。
極端な意見かもしれないけど、つまりは10年間、アースデイ東京は「消費」されてきたのかもしれない。
» 6.目的に飛び込む文化を。
そもそも各地のアースデイは、消費以外の4つのプロセスへも関わりを持つために、オーガニックや、環境問題、オルタナティブという流れを扱っていたように思う。
それは今回のアースデイ東京でも同じだった。ただ、今まで何度も見てきたはずなのに、ある風景が改めてわたくしの心に残った。
[Photo by Sho Hiratsuka ©アースデイ東京2016実行委員会]
それはたとえばダムブースの出展者さんは、通りがかる人がもしダム問題について知らなければ、まずダム建設で沈みゆく村の説明をすると思うんだけど、
そもそもダムブースの人の当初の目的は「好きな村を存続させたい」だったり「不当な暴力に従わずに生きたい」ということだったのかもしれない。
ところが、多くの人は現実に引っ張られてしまう。最初に想起した目的よりも、繰り返した作業自体に重要性を感じてしまう。
説明を繰り返すことで、次第に啓発・啓蒙すること自体に活動の重心が移っていく。
これまでにいろんな「運動」に関わってきたけど、わたくしが今思うのは、そういう活動のあり方は弱い、ということ。現実を変える力が弱い。なぜなら、啓発する側がすでに目的を見失っているからだ。
可能であれば、理想を今まさに生きること。そのほうが強い。早い。
インフラを契約せずに暮らす。家賃のかからない暮らしをする。お金を稼ぐよりも食材を育てる。投票に行くよりも、選挙事務所で選挙と候補者を作る。
「目的のために、今はこれをやる」だと、いつまでたっても「目の前のこれ」が終わらない。
「目的自体をやる」方が早いじゃないか。答えを生きるとは、そういうことだ。
そう考えたときに、
アースデイ東京が体現できることはなんだろうか。
歩きながらふと気づいたのは、
この10年間、オルタナティブを求める10万人が毎年2日間、必ず代々木公園に集まっているという事実だ。
国会包囲した安保デモの、最大参加人数と同等じゃないか。
だとすれば、この10万人のひとりひとりが、ユーザーからクリエイターへと変容できる主催側のデザインと、そこで生まれた10万人のクリエイターが直に取り組める目的の設定こそが、まさしく近未来(=希少なクリエイターが潤沢になる)そのものではなかろうか。
ひとえにそれは、主催側と参加者さんと、双方のホスピタリティの持ちよりによってなされるものであってほしいとわたくしは願う。つまりは、共同作品としての10万人のアースデイ東京だ。
[Photo by Gentaro Todaka ©アースデイ東京2016実行委員会]
機は熟してるんじゃないか。みんな、気付き始めているんじゃないか。
鹿児島から東京に行くのは極度に疲れるし、今まで好きじゃなかったんだけど、こういうことなら是非、革命的なアースデイ東京を作りたい。
うーん、来年も鹿児島から行かなくては。アースデイ東京。
ふと顔を上げれば、けやき並木は終わり、眼前には街が広がる。
都会だからできること、都会から始められることもあるのかも、と思いを新たに、雑踏の街へと進み入った。
(文:テンダー / ヨホホ研究所)