京都の、朝5時、ラーメン屋である。
その日は前日からずっと風花が舞っていて、視界は雪景色なのに足下には一切積もっていないという、浮世離れした一日だった。夜明け前の一番寒くて冥い時間帯に、人影はまばらで、粉雪の中ぼうっと明るいのは一軒のラーメン屋のみである。
坊さん仲間で夜中語り明かした僕らは、口々に寒い、寒い言いながら、先輩おすすめのこの店の暖簾をくぐった。「ラーメン6つ。」「はいよ。」
出汁の香りで店内が暖かい。間もなくすると、大きなどんぶりに白濁したラーメンが運ばれてきた。うぁ見るからに美味そうだ。まずスープを一口、二口、三口…あぁこいつは旨い。芯から冷えた身体に沁みる。みな無心ですする。
ひとここちついた頃、1人の先輩がおもむろに語り出した。
「…今日はホンマに良かったわ。何が良かったてな、○○が死んだって判った事や」
オール明け朝5時のテンションでふざけ合っていたところ、いきなりの話題にギョッとした。同じく後輩も固まって目だけきょろきょろ、先輩方の表情を伺っている。
その先輩には、仲の良い友人がいた。彼と突然連絡が取れなくなったのは4年ほど前。その後も音信は途絶えたままで、ずーっと気掛かりだったという。さっきの店で、お店の人からあらましを聞いたのだという。
「お前らが隣のテーブルで話してる間、俺こっちのテーブルでずっと泣いててんで」
言われれば確かにまぶたの辺りが腫れぼったい様な気がする。けれど先輩の顔をまじまじと見つめた事なんてない。
どうしよう。この目の前にいる御仁にどう声を掛けたらいいのだろう。そもそもこちらの応答を求めているか?黙して待つべきか。もっと話したそうにしているか?話し出したら相づちを打つか、ただ黙って寄り添うか。
前傾姿勢でめまぐるしく思考していると、そんなざわつきをよそに、もう1人の先輩が背もたれに手をかけながら、ポンと言った。
「あぁ。それじゃあ。仕方ないですね。僕らみな死にますからね。」
「せやねん、仕方ないねん。ずーっと気になっててん。あんなに仲良かったのに何で、って。そしたら、死んでたわ。今日それが判って良かった…死んだならしゃーないよなぁ。」
「そうですね。」
胸を突かれる思いがした。未熟な己を恥じた。
その時の僕はといえば、目の前の先輩を見もせず、自分の内面を見ていた。プロセスでいうならば、
①同調したい
②自分のひきだしの中に先輩の悲しみに似たシチュエーションを探る
③一番近そうなそれを引っ張り出してきて、再度そのときの感情に浸り直す
④同調モードセット
→→なんだこれ!あざとくないか自分!媚び過ぎだ。
自分の内側に入り込んでいる間、目の前の先輩には向き合えていないし、そもそもそれは僕の過去だ。「今」の先輩の悲しさをまるごと受け止める姿勢にはほど遠い。なにがダサいって、④のあとに⑤でよもや、先輩を介助にかかろうとしなかったか?
今悲しくないのに。悲しそうなツラ被って、わかったふうな口きいて。この業務が終われば暖かい部屋でぬくぬく眠ろうとするなんて。なんてイマイチなんだ自分…。
それに比べてもう1人の先輩の毅然とした姿勢はどうだ。「それじゃあ仕方ないですね。」と言えるしなやかな強さ。
確かに僕らは全員、遅かれ早かれ、いずれこの世を去る。けれどこれを言っちゃあ身も蓋もなくないか。まるで人の気持ちを斟酌しない、血も涙もない言葉じゃないか。
それなのにこの先輩から発せられた
「仕方ないですね。」の、抜けの良さ。そのたたずまいの清々しさ。血も涙もないどころか、そうだよなぁ。と身に染みとおるような響きだった。
僕は完全に浅はかだった。修行が足りない。この目の前の2人は坊さんであり、先輩なのだ。日頃から葬送という最前線に立つ猛者なのだ。
「仕方ないですね。」は、常に慟哭の現場に身を置く者の口をついて出た、なまなましい真理だ。ごちゃごちゃ思考した末の慰めとはワケが違う。
そして「せやねん、仕方ないねん。」と続いていく会話。坊さんってすごいな。諦観の上に立つ矜持。先輩は何か考えながらも、丼のそこに残ったスープを美味しそうにすくっている。
店を出ると依然雪が舞っている。路上には積もってはいない。幻のごとく舞うのみだ。表通りへ出てタクシーを捕まえる。後ろから先輩達の笑い声が聞こえてくる。先にタクシーに乗せて、頭を下げる。ありがとうございました。「お前らも気ィつけて帰れよ。」
テールランプが見えなくなるまで見送る。自分たちもタクシーに乗り込み、大きく息をついた。
なんて浮世離れした夜だったんだろう。まだ辺りは冥くて、寒い。夜明けは何時頃なんだろうか。
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