みなさまこんにちは。テンダーです。
やー、わたくし、昨年末の12月に子供が生まれまして、
その時にお世話になったのが、鹿児島中央助産院。
とても丁寧かつ親切で、ご飯も美味しく、本当に素敵なところでした。
ところがどっこい、相撲はどすこい、築45年の老朽化ゆえに移転することとなり、その結果残るのは、新しい助産院と、大きな借金……!
「借金軽減のために、なにかお手伝いできるのでは!」という思いから、自前のクラウドファンド・スターキルトプロジェクトを友人と立ち上げたのが桜の花咲く3月初め。
スターキルトとは、北米先住民文化に伝わる出生にまつわる布のこと。部族全員が一針ずつ縫ったスターキルトの上に赤ん坊は産み落とされ、一人の人間の出生には多くの人の関わりがあることを確認する風習なのでした。
これに習い、ないものは作っちゃおう、みんなの助産院をみんなで作ろう!という趣旨でプロジェクトは始まり、
新しく買う備品・中古で買う備品・もらう備品・直す備品・作る備品の精査と決定をする「備品購入の予算を見直して支出削減」と、助産文化を説明しながら1,928,349円(イクジヤサシク)を目標額とするカンパ作戦をヨホホ研究所にて展開する「カンパでお金を集めて収入増」の2本柱でいざ着手。
移転が完了する5月末までの間に、
・必要な家電類は、状態が良く新しい物をオークションで探して競る
・洗濯機は分解洗浄し、ピカピカに
・その他、みんなで作ったものは、すのこ、棚、診察台、ちゃぶ台、ランプシェードなどなど
・趣旨に賛同してくれた美山の陶芸家さんたちからは器を分けてもらい、
・ランプシェードは蒲生和紙を使い、
・休日は助産師さんたちがエコーをドリルに持ち替えてすのこを作る、
怒涛の3か月を走り抜けた!
みんなの頑張りによってプロジェクトはトントン拍子に進み、5月末の時点でカンパ額は110万円を超え、家具作りとオークションなどで節約した額は70万円にものぼった。
何よりも、プロジェクトを通してたくさんのご父母の皆さんや、地域の人とのつながりが可視化され、のべ250名という人数が体を動かして関わってくれたこと、そしてその状況に現場の助産師さんたちが居合わせたことが、本当に素晴らしいと思う。
[すのこ作りWSの様子]
以上、とっても上手くいってるプロジェクトなんだけど(カンパはまだ募集しておりますよ!)、それにしても、助産文化の誤解って根強いなぁ、と思うさっこん。
» そもそも助産院ってなんだろう?
というわけで、今回のプロジェクトのために、素人なりに調べた情報をまとめますよ!
まず助産院とは、助産師さんがお産の手助けや、赤ちゃんのケアを行うことを目的とした、法的に設置された施設のこと。
さらに助産院は性の悩みに応えることも業務の一環なので、思春期のことも、LGBT のことも、出産のことも、更年期障害のことも24時間、電話相談に乗るうえに、産後や育児のケアも業務の対象内。産後も助産院との関係を続けることもできる、地域のハブとして機能するどえらい施設なのでした。
こういうことを調べ始めてわかってきたのは、医療を柱に出産を扱う産婦人科と、人生と性の包括的ケアも踏まえて出産を扱う助産院とでは、守備範囲が違うんじゃないの? ということ。
» 助産院で産むのと、産婦人科で産むのは何が違うの?
[* 写真はイメージです。 photo by Phronimoi]
今回スターキルトプロジェクトに取り組むまで知らなかったのだけど、最近の日本のインターネット界隈には助産院出産 VS 産婦人科出産の衝突が見受けられることがあって、
やれ助産は危険だの、産婦人科は無駄ばかりだの、互いに相手を非難して、ケンケンゴウゴウの様相を呈しているのであります。
ところが実際には、全ての助産院は産婦人科医と提携しないと開業できず、助産院で産む場合も妊娠がわかってから産婦人科での検診を4回前後は受けるので、その時点で産婦人科医が助産院での出産が危険だと判断したら、妊婦さんは助産院で産むことはできないわけです。よって助産院出産のバックアップは産婦人科でしている、ということになる。
» 助産院と病院は、始まりが違う
そもそも、助産文化の前身となる産婆文化というのは紀元前1500年くらいからあって、西洋医学がベースではない。外科的な西洋医学は、それから3000年経った西暦1500年頃のルネサンス期が始まりと言われていて、つまりは助産院文化と病院文化は、出自や考え方のベースがそれぞれ違うわけです。
ちなみに日本の歴史的背景では、戦後まもなくGHQにより産婆制度は弾圧されて「助産婦」と名称変更&免許制になるんだけど、アメリカは産婆制度を持たず、病院出産が主だったために、日本の産婆の仕事が理解できなかったのが元らしい。
だから日本のお産は、必然性や合理性ゆえに病院出産に変わっていったわけではなく、政治的な混迷により病院出産に変わったわけで、その結果、ふたつの精神性が残ったんだと思う。
つまり、産婆からの流れの助産文化では「待つ」という数万年の経験則に則った方法論が重要視され、
西洋医学的な病院文化では「医学的根拠に基づいた適切な処置」が重要視されるんだろうな、と。
「産む」という目的は一緒でも、そもそも「危険」や「安全」に対する判断基準が違うだろうから、最終的にはどちらの方がしっくりくるかを個人が判断するのでいいんじゃなかろうか。
» 産む主体は誰?
その前提で眺めると、どちらがいいとか悪いではなくて、考え方の違いから生じるやることの違いに、自ずと気づく。
例えば産婦人科で使うM字開脚の分娩台は、医師が診察しやすいことを目的としている装置であって、妊婦さんが産みやすい体勢を補助するものではない。
なぜなら産婦人科では、妊婦さんの産む力よりも、医師の判断(=陣痛促進剤の投与や、胎児吸引のタイミング判断)が「安全のために」重視されるので、妊婦さんの息みやすさ、間欠期(陣痛の間の小休止)に力を抜いて休めるか、精神的な拘束感や羞恥心生まないか、などの妊婦さん側の都合の優先度は下がる。
ゆえに、妊婦さんには負担がかかる。
仰臥位の体勢
さらにいえば、産婦人科で使われる分娩台では仰臥位(ぎょうがい)という仰向けの体勢になり、それは、赤ちゃんの生まれてくる重力方向に合っていない。
そのため、膣の下部の会陰(えいん)に負担がかかり、会陰が裂けやすい。会陰が裂けると治るのに時間がかかる(とお医者さんは言う)ので、あらかじめ、生まれる最後のひと息みの直前くらいで、
photo by AfroBrazilian
ハサミでチョキンと会陰を切る。
(*病院によりけり。病院によっては100%)
それに対して助産院では(少なくとも鹿児島中央助産院では)
分娩台を使わずに自由な体勢で出産できるので、膣口に無理な力がかかりづらく、裂けることがあまりない。裂けたとしても数mm程度のことがほとんど、とのこと。
さらに助産院全体の統計を見ると、実際は初産の52%、二人目以降のお子さんを産む方の72%は、出産時に会陰が裂けることはない。
つまり、ここだけを見た場合、
一般的な産婦人科では、
・もしものために、医師が判断しやすい仰臥位になってもらう
↓
・仰臥位だと会陰が裂けるから、あらかじめ切る
↓
・そして縫う
一般的な助産院では
・自由な体勢で産めば、そもそも会陰はほとんど裂けない。ただし何かあったら緊急搬送。
となるわけですな。
さらに、仰臥位であることで肛門にも負担がかかり、
産婦人科出産ではピンポン玉大の痔になる産婦さんは多いらしく(病院勤務の助産師さんいわく60〜70%)、
かたや自由な体勢で産める鹿児島中央助産院では、痔になるのは1〜2%の産婦さん、さらにその大きさも一番大きくて10円玉くらい、とのこと。
» 大事にするものが違えば、目的も変わり、目的が変わればプロセスが変わる。
ただ、遺伝的な特質のために、出産に医療介入が必要な家系もあるだろうし、逆子であったり、お産に関わる難しい条件が事前にわかっている場合もあるわけで、そういう時は、日本の医療のレベルの高さは、妊婦さんの大きな安心につながると思う。
ちなみに、日本の妊産婦死亡率は世界的に見てもトップクラスに低く、平成24年の時点で出産10万例のうちわずか3.5例。
(ちなみに助産院出産が難しい場合は病院に緊急搬送されるので、最終的にお尻を拭くのが産婦人科、ということもある)
だから結局は、これから親になるお父さんお母さんが、それぞれ何に合意して、望んで何を選ぶかでしかない。
わたくしの場合、奥さんが助産院で子供を産んで、それから5ヶ月経って今思うのは、
病院であれ助産院であれ、個人として安全に産むこと、産むプロセスを大事にすることは、人が生きていく長いストーリーの中の、重要だけれど小さなごく一部だ、ということ。
出産とは子供を生むことであり、子供を産むことは地域が続くことであり、地域が続くことは今と未来をつなぐことだ。
どんな思想で産まれようと、ストーリーはその後にも、外側にも続く。
そのときに、スターキルトを縫うように、地域のみんなが誰かの出生を受け止めてくれる、みんなが関わり、肯定してくれる出生っていいなぁ、と思ったのでした。
逆を言えば、出生を歓迎してくれない地域に、自分は産まれたくないなぁ、とも思う。
もしかしたら少子化の問題も、まずはそこからなのかも。
分断よりも融和を。
みんなの助産院を、みんなで作ろう。
[カンパはこちらから!]
(文:テンダー / ヨホホ研究所)