» 渇水に、取水口を増やす
うーむ、暑い。日照りである。
この夏、南国・鹿児島は1カ月以上の日照りが続いた。
私の住む集落は水の郷であり、全ての家に自家用の水源があるのだが、今回の日照りにはさすがに太刀打ちできず、わがやの水源は枯れかけてきた。
今まで、冬場に渇水したことはあったのだが、夏のこの時期に水がなくなるのは初めてのこと。そこで裏山に水源を調べに行くと、今まで枯れていたとなりの沢になぜかジャブジャブ水が流れている。
これはこっちの沢から水を取れ、という天からの思し召しだと思い、さっそく取水口を新設し、緩速濾過器(かんそくろかき)を作った。
緩速濾過とは、微生物の持つ分解力を借りて、水の汚濁を取る濾過方法である。電源も人工のフィルターもいらず、細菌の90〜99%が除去できる。ついでに特に難しい技術もいらないので、砂と石と器とやる気があれば、誰でも作ることができる。
[新設した取水口]
[水を吸いすぎるので、布とスペーサーを詰めて調節中。]
友人に手伝ってもらって、3時間ほどで作業終了。
今まで使っていた取水口と、今回の新設分と、合わせてわがやの取水口が2つになった。
家一軒の水自給に必要な水量は、なんと鉛筆一本の太さほど。その量が24時間流れていれば、大した苦もなく暮らせるのだが、山暮らしのように、自力でインフラを整えて暮らすときは、なるべくライフラインを複数持った方が、暮らしが磐石になる。
そして面白いことに、濾過槽を足すと水の味が変わる。
引っ越してきた当初は無濾過の水を飲んでいた。その水は雨が降れば濁り、風が吹けば葉が混じった。そのかわり、濁りのないときの無濾過水にはほのかな甘みがあり、なんとも言えないうまい水であった。
うまい水ではあったけれど、毎日飲んだらさすがに結石ができるかな?と思い、ある日、ひとつめの取水口に緩速濾過器を足した。すると、水が文字どおり味気なくなったのである。非常に微妙な変化で、家人にもわからなかったが、私にはわかる(なぜなら元バーテンダーだから!)。それでも、一般の水道水よりかは格段においしい水だとは思うけど。
[現在は濾過機のおかげですっかり透明]
» 雨水でパンを捏ねる
以前、尾張小牧の不思議なパン屋、ソラミミPANにお邪魔したとき、店のオヤジさんからこんな話を聞いた。
「雨水を使ってパンを捏ねると、雨によって味が変わるんだよね。五月雨のとき、小雨のとき、豪雨のとき、台風のとき、どれもパンの味が違うんだ。空気中の微生物の兼ね合いなんだろう、と思うけど」
そう言いながら、ソラミミのオヤジさんは、100Lのポリタンクをつなぎ合わせた、自作の雨水利用システムを見せてくれた。
そうか、雨水には微生物がいるのか。
そういえば顕微鏡を使い、世界で初めて微生物を見たオランダのレーウェンフックも、初めて微生物を見つけたのは雨粒の中からだった。
うちは山水が豊富にあるので、雨水利用に全然思いが及ばなかったけれど、都会暮らしの人からのオフグリッド相談が増えてきたこともあって、だんだんと雨水利用に興味が湧いてきた。
» 一ヶ月に、我々は何トンの水をスルーしてるのか?
時を同じくして雨水に興味を持つきっかけとなった出来事が、もう一つある。
東京の高井戸に、うちとほぼ同じ仕組みの家を作る「てー庵2」計画があって、その時に試算したんだけど、例えば、
杉並区の7月の平均雨量(過去10年の平均)が145.9mm。
* 杉並区の地域特性 資料6より
そして杉並区に10m四方の屋根があった場合(=100㎡)、
なんと一ヶ月で、
145,900リットル=14.59トンもの水を得られる環境があることになる。
・・・14.59トン。
・・・ぎゃー! ジーザス・クライスト!
かたや日本に住む一人の人間が使う水量の1日平均が220リットル(平成26年度)。
×30日で、一月あたりに6,600リットル。
一番雨の少ない2月の平均降水量、56.9mmでも、
一月あたりに5,690リットル。日本平均の6,600リットルを基準にしたらちょっと足りないけど、そもそもオフグリッドで暮らそう、という人は1日に220リットルも使わないと思われるので、たぶん余裕のよっちゃんで足りるはず。(ちなみに、シャワーは1分につき12リットルの水を使う)
いやはや、雨水すげー!
» 水の汚れ
ついでに水の話題に関連してもうひとつ、こちらは排水の話。
私の住んでいる南さつま市では、今年初頭に人口2000人の区域のために26億円を出して公共下水道を作る、という政治的な話題があって、私はその反対運動をした。
[水質検査も自分でやったよ]
なぜかというと、そもそも高性能な微生物処理の濾過槽をもってしても、下水中の窒素やリンは取りきれないから。東京都下水道局のデータによると、窒素53%、リン34%が処理しきれず、下水を素通りするらしい。
窒素は下水や、車の排気ガスや、農業のための肥料から由来していて、最終的には海に行き着く。
そして窒素が海に入ると、植物性プランクトンや藻が大量に増える。植物性プランクトンは死ぬと腐敗し、その分解の過程で酸素を大量に使うので海が酸欠状態になる。
その結果、デッドゾーンと呼ばれる魚や甲殻類の住めない海域が出現する。
[赤丸は確認されているデッドゾーン、黒丸は詳細未確認のデッドゾーン。NASAより]
メキシコ湾のデッドゾーンは、なんと東京と神奈川と千葉と埼玉と茨城を足した面積よりも広い(21,000㎢)。その広さの海に、魚が住んでいないという状況を想像できるだろうか。
そして、デッドゾーンは世界にすでに、146箇所もあり、10年ごとに倍増している。世界の海は、すでに深刻な窒素汚染の真っ最中なのである。
というように、そもそも下水の問題というのは大腸菌の問題だけではなく、窒素やリンの問題も含む。ところが生物処理では窒素やリンを半分近くフィルタリングできないのだから、そもそも生活排水や排泄物を水に流すこと自体が問題だ、ということになる。(ちなみに他の濾過技術である「逆浸透膜」なら窒素の90%を除去できるようだが、10リットルの水から2リットルしか浄水を作れず、残りは捨てることになるし、そもそも濾過のためにたくさんのエネルギーを使うので、うーん、どうなんだろうか!)
つまり下水問題の解決法とは、下水を水に流さないこと、汚水を運ばずにその場の土壌で分解することにほかならない、と私は思う。
例えば昔ながらの肥溜めや、新しい技術で言えばドライコンポストなど、その場で分解したり、堆肥にしてしまえば済む話、生活雑排水も、土に蒔けば簡単に処理することができる。
[我が家のドライコンポスト]
よって、2000人のために行政が26億円も使う話ではない、と考えた次第であった。
» アウトフローを汚さない
私、そもそも薪で暮らしてるし、買い物も包装材の少ないものを選ぶし、元から排出する汚染の少ないタイプだと思うけど、この下水事業のてんやわんやに巻き込まれて、行政とやり取りをするために改めて勉強して、自分の暮らしが出す排水に、より敏感になった。
それとともに、ドライコンポストトイレを作ったり、電力をオフグリッドして暮らすようになってある日気づいたのだけど、自分の生活から出て行くもの(=アウトフロー)が汚れていなければ、人間が生きる意味は肯定されて良いんじゃないだろうか。
というのも、ドライコンポストで堆肥を作り、杉の間伐により森に日照と隙間を作り続けた結果、引っ越して3年でわがやの周りには随分と生き物が増えた。そういう出来事を、エコロジー経済学やエコロジカルフットプリントの世界では「バイオキャパシティ(生体容量)の増加」というんだけど、その見地からすれば、塩素殺菌された水道水や、公共下水道はバイオキャパシティを増加させず、むしろマイナスにする。この事実は、誰かが望んでいることなんだろうか。
うちの裏山に設置した緩速濾過槽とその技術は、病原菌の危険を減らし、濾過槽内に微生物を養い、バイオキャパシティを増加させる。その水が溢れて流れていっても、何かを意図的に殺すことはない。これまで私が学んだり身につけてきた先住民技術や適性技術の中には、そういった「誰も困らない」技術や知恵が沢山ある。
毒を以て菌に立ち向かおうとすれば、いずれ耐性菌ができてしまう。
見たくないものを遠くに運べば、遠くが汚染されるだけのことだ。
つまりは外部から薬や肥料を入れたり、その場に出てきたものを下水のように遠くに運んでしまうこと自体が、もはや問題なのではなかろうか。
ハイテクの幻想から、目を覚まそう。
何万年もの間、簡単な現象を掛け合わせた簡単な組み合わせのみで、生きる上での根源的な全てが解決できたのだ。
持続可能性は難しい話じゃない。
昔ながらの、汚染を伴わない技術を使うことで、簡単に達成することができる。
太古の恐竜に流れていた血が、今日には雨となって降り、今日のわたしたちの汗は、未来に海となるのだろう。
水は地球が始まってから、1滴も宇宙に出て行っていない。全て循環しているのだ。
だから、あとはやるか、やらないかだ。
水をめぐる冒険は、どこかの山に穴を掘り、淡水を発掘しにいくことではない。
次世代にどれだけの汚染されていない水を残せるか、という挑戦である。
そのために、雨水を集めよう、下水に思いを馳せよう。
一緒に水をめぐる冒険者になろう!