フクシマが、日本を救う!福島と、市民社会と、僕たちの毎日。311 震災からもうすぐ8ヶ月。東北各地には今も困難を目の前にする人々が居て、福島には放射能と向き合う人々がいます。これからの未来を歩くためにまず、福島の姿を確かめに、夏の終わりを旅してきました。
原発と放射能と津波と向き合う
「つながろう 南相馬!」の仲間たち
福島沿岸の南相馬では、7月の代々木公園アースガーデン“夏”にも来てくれた「つながろう 南相馬!」の皆さんが待っていてくれました。
南相馬は福島第一原発事故の影響を最も大きく受けた被災地です。街の中心部が避難準備区域30km圏内にあり、7万人の街は避難によって一時期は2万人まで減りました。今も人口の4割近くが戻っていないといいます。
「これだけの災害に放射能のこともあっての閉塞状態。精神的にも追い詰められていくのは当たり前よね。そんな前向きな人ばかりじゃないし、地域経済だってこんなに人が減ってどうなるか分からない。先行きが見えないって言うのが、なんともいえないの」
地域で複数のクリーニング店を営む、高橋さんの口から出てくる言葉は深刻です。
南相馬は決して小さい町ではなく、コンビニも沢山あるし、大手チェーン店もあればショッピングモールだってある「街」です。そういう街が311の後、原発事故の直後にはゴーストタウンの様になり、その復旧も未だ道半ば。
「いったいどのぐらいが安全で、どのぐらい除染すればいいのか、誰も何が正しいか言えない状況で、こういう中で行政の人たちはまったく柔軟には動けなくて。色んなことを自由に試せる市民の動きとNPOがすごく大事。そして市民と行政が一緒に動かないと…」
そういう彼女は、若者たちによる「つながろう南相馬」と講演会など市民の場を活発に企画主催しています。「ありがとうからはじめよう」を掲げる代表:須藤栄治さん達との動きは、南相馬の貴重なチカラになり始めています。
海沿いでは津波の被害がえぐるように残り、町は少し寂しくとも、彼女たちが植えたヒマワリがいたる所で大きな花々を、元気に広げていました。
30万人都市、福島市の今。
「CRMS市民放射能測定所」が活動を始めています
福島で暮らす人々に向けて、政府が放射線量の暫定基準値を年間20ミリシーベルトとして、大問題となりました。その最も象徴的な対象である福島市には、現在も30万人以上が暮らし、何も変わらないように、一見平静です。
実際、どんなに線量が高いと言われても、放射能には色もニオイも刺激も何もありません。放射能でこんなに大騒ぎをしているのに、福島市内にいても見事なほどまったく何も感じれない。あるのは情報と実感のあいだの巨大な違和感ばかりです。
そういう福島で多くの人々が今までどおりに暮らしているのは無理ないと思うのです。が一方で、市内の公園に子ども達の姿はまったく見えず、除染作業のショベルカーと積み上げた行き場のない土が目立ち、ガイガーカウンターの数値は、東京で目にする数字と確実に一ケタ以上違います。あるNGO関係者に、身につけた被爆線量計(ガラス線量バッジ)を見せられながら、
数値が毎日増える様子を聞いて緊張しました。どんなに平静でも、そこに確実に放射能が存在するのです。
こういう福島市の状況の中で、何ができるのか? 夏休みには子供達の県外避難/保養が呼びかけられましたが、実際に県外に出た子供達は一時的なものを含めても3割に満たないと言われます。
地縁血縁の中で暮らす人々が、住み慣れた土地を離れることは実際簡単ではありません。精力的に福島での取材を繰り返すあるジャーナリストは「結局、お金のある人か、よほど敏感な人しか、県外避難は出来ないんですよ」と、諦めたように言いました。
そんな中で、福島で暮らし続けていくためには、まず放射線の実態を知ることから始めるしかありません。そういう思いで「CRMS市民放射能測定所」が草の根市民によって始まっています。現在、ホールボディカウンターや食品放射能測定器などが全国の支援で設置され、福島市民の誰もが立ち寄り相談できるセンターとしての体制を整えつつあります。
僕が理事を務めるアースデイ東京でも、来年までを見据えた息長い活動として福島に向き合っていこうとしています。9月には実行委員会の有志により「アースデイ東京×フクシマ交流プログラム」を実施、東京から20人を超える参加者で福島市、飯舘村、南相馬を訪ね、今後のプログラム実施に向けて顔と顔がつながるコミュニケーションの場を作りました。「CRMS市民放射能測定所」はそうした流れの中で最も注目し連絡を取り合っている仲間です。
加藤哲夫さんが残した言葉「フクシマが日本を救う!」
「フクシマが日本を救う!」8月26日に亡くなられた、仙台のNPO活動家 加藤哲夫さんが残した言葉です。
そう確かに、今の混乱した政治状況の中で、原発を止め、エネルギーシフトを進めるのに、一番近いところにいるのは福島の人々です。福島県民の総意と共に、福島県知事がNOと言えば、福島第二原発は止めることが出来るし、復興の象徴として自然エネルギーを推進することも福島では比較的スムーズに違いないのです。
この半年、僕たちアースガーデンも頑張りました。震災から間もない4月5日、田中優さんと共に代官山UNITにたった1週間の準備で500人以上を集めて以来、この半年で取り組んだ企画は15本以上。加藤登紀子さん、小林武史さん、いしだ壱成くんなどとも集い語り合ってきました。
フクシマを巡る問題に今、僕たちの「市民社会・日本」が試されています。もちろん福島の人々を応援しなければなりません。そしてエネルギーシフトが、放射能と向き合うことが、僕たちの暮らしと社会のあり方そのものを問い直してきています。一人一人が考え実践し、その総体としての社会のあり方をみんなで選ぶ。そういう市民社会の基本が今、僕たち一人一人に問われています。
その答えはきっと“自然に近いあり方と暮らし、手づくりを大切にした顔が見える関係性”、そういう僕たちがこれまで大事にしてきたコトの少しだけ先にあるのだと思うのです。
僕たちはこの半年で、これまでより少し大きく“一歩だけ進めた”のではないでしょうか。たった一歩ですが、大きな一歩です。この先へと、これからも毎日歩き続けようと思うのです。