311 震災からの原発事故の中で、最も注目された「原発現地の街」南相馬。 世界中にYouTubeで訴えた桜井市長は元々、酪農家から産廃処分場の建設反対運動がきっかけで市長にまでなった市民派。そして、南相馬に生き続ける若者たちと語り合い確認した、311から1年以上たっての、これからの新しい街づくり
津波以上の勢いで、この困難を乗り越えていく
お金以上に、価値観とか人が生きていくことに
立ち返って進む、南相馬へ
私たちアースガーデンは、震災直後の昨年4月初旬以来、南相馬への支援を続け、震災から4ヶ月の昨年夏には「フェスティバルforフクシマ東北」を開催し、南相馬から高橋美加子さんなどの皆さんを招待 しました。この動きは今年2月、南相馬の若者市民の動きと、アースデイ東京や他の NPO/NGOの支援もリンクして、加藤登紀子さんも登場しての「南相馬ダイアログフェスティバル」に結実しました。
この市民の対話と交わりは、さらにウズを巻き、春休みからGWの子ども達の遊び場作り「みんな共和国」へと発展しさらに、今は夏休みの「野外の子ども達の遊び場」の実現に向けて、行政も巻き込みながらますます加速しています。今の福島の放射線量の高い地域では、子ども達の外遊びや活動に制限があり、そこでの暮らし自体に、さまざまな意見と困難がありますが、
そこに数万人が暮らしているならばこそ、その事情と選択はさまざまに尊重されるべきだと思うのです。子ども達のために最善をやり切ろうとしている大人たちがいます。さらに、その先の未来までを見て進む、若者たちもいます。南相馬は、僕たちに今の時代に生きることを実感させてくれる、スゴイ街です。
お金以上に、価値観とか人が生きていくことに立ち返って言える、南相馬
桜井市長 元々、南相馬が地方の閉塞感から脱するのに、カオス的な状況が必要だと感じていて、それを産廃処分場建設反対運動から市長になった私が、自治体の長としてやってしまおうと、思っていたところがありました。そこに、原発事故が起きて、否応なく市民一人ひとりが大きな現実に向き合うことになって、生き方と行動を自分で問い直す時代に追い込まれたわけです。
そんな中で、気落ちしたり、閉じこもってしまった人も少なくないのですが、逆にやがて、多くのみんなから、活力がみなぎってくるようになってきています。南相馬ダイアログもそう。ああいう幅広い場を純粋に市民の輪で作った若者たちの動きは、素晴らしいと思っています。
須藤 「僕はハッキリと、もう行政にああだこうだと文句を言う時代ではないと思うんです。自分たちは、“作って与えていく姿勢”でいきたい。きっと日本でも世界でも、それは今ドンドン起きているけど、一 番動いているのは南相馬だと、そう胸を張りたいんです。僕は南相馬がやっていくことで発信できると思っています。
お金以上に、価値観とか人が生きていくことに立ち返って言える、南相馬。そういう発信をしていくのに、こんなに説得力のある街は今、ほかにないです。それを行政ではなく市民が主体的に動いて、発信していく。それが共感を得ていくと思っています。」
若者のあらゆる方向に放射状に広がっていくエネルギーを
桜井市長「震災と原発事故は不幸なことでしたが、この南相馬という土地の未来には、こういうチャンスはそうはないことなんです。しっかりと動き出すには、もう少し時間がかかるでしょう。けれど、彼らのように自ら動く人が出てきて、どんどん近づいている気がします。そして、こういう若者たちのエネルギーある動きに、年寄り大人たちは、一定の方向性を望みがちだけど、それは違うよね。
若者たちは、とにかく何とかしたいと熱意で動くから、その熱意、エネルギーを尊重したい。あらゆる方向に放射状に広がっていって、方向性は次第に収束すればいい。そして我々も、一緒にこの街をどうするかって動いていかないと。行政っていうのはすぐ、規則でこうとか、公平性とかって話になる。でも本来、条例なんていくらでも変えられるんですから。」
南兵衛@鈴木幸一「ぜひ、こういう話をもっと多くの市民の皆さんとできたらいいですね。それには、南相馬の若者や、普通の市民が場を作って、そこに桜井さんや行政の人が参加するほうが良いかもし れません。その起点をダイアログの若者たちが作ろうとしている気がします。」
戸田「そういう意味では、そこに必要なのはイイ空気感ですよね。まず、自分たちができることは何ですか?、子ども達のために何ができるんですか?と、話をしていきたい。そのために、場の空気間がすごく大事です。行政が場を設けた時、なぜかいつも空気感が悪いんですね。あまり気軽に話せる雰囲気がないんです。結局、行政にあれやって、これやっ てとだけになっちゃうのは、その空気感のせいな気がします。」
自分たちの町の事は自分たちでやるんだって、変わって動かないと
桜井市長「あなた作る人、わたし食べる人みたいな、境を作っちゃう人が多いよね。でも、みんな本当はどちらでもあるわけで。それをみんなが共有した時に、「行政」は、誰でもない我々そのものじゃないか、ってところに行き着くと思うんですね。一人一人が言いたいことを言う。そしてそれに責任を持つ。 これが少しずつ広がって地域のパワーになる。」
須藤「まずはコアな志の近い仲間達がいて、応援する人たちがいて、それがさらに広がる。そういう輪を広げてたいんです。夏の遊び場作りを野外でやるのはリスクもあります。けど、自分たちの町の事は自分たちでやるんだって、変わって動かないと。」
戸田「ダイアログでも、みんな共和国でも、南相馬の元々の仲間と外からのメンバーとが混じり合ってやってます。こんどこの市役所のすぐそばに「みんな未来センター」って集まりの場を作るので、ぜひ市長、遊びに来て下さい!」
桜井市長「やっぱり、君みたいに外から来てくれるってありがたいよね。地元だけだとどうしても、枠から逃れられないというのがあって。でも、外の人が来るとポンと心を開くというのがある。それが一緒になった時にいい雰囲気が作り出される。よく言われるヨソ者、馬鹿者、若者とマッチングした時にそれが大きくなってきます。いつでも時代を変えていくのは若い力なんです。」
お前もオレも命は一つだろうっていうのが原点
桜井市長「もっと理想そのものを大事にしながら発信して、市民と行政が近寄って交わっていきたい と。お前もオレも命は一つだろうっていうのが原点。 それを共有することが大事。お金で動くわけじゃな いんだよ、人間は。もちろんお金のチカラは大きいけど、1 0 0%お金で心は売らないよね。疑問があればぶつけるべきだし、やりたいことがあればどんどんやるべき。そこに壁があったら、なんでこうなのか議論する、そして動く。
愚痴だけ言ってもしょうがない。私は昔から、走りながら考えるタイプでしたから。まずは行動する。そうすれば、津波以上の勢いで、この困難を乗り越えていけるんじゃないのかな。」
1956年南相馬に生まれ、岩手大学農学部卒業後、南相馬で農業酪農を営む。産廃処分場への建設反対運動をきっかけに2003年より市議、2010年には市長となって東日本大震災を迎えた。
南相馬に住み、仕事を持つ若者たち。震災後も南相馬 に残ることを選びとり、市民グループ「つながろう南相馬!」を立ち上げ、今年2月におこなわれた「南相馬ダイアログフェス」でも活躍、市民の自立的な動きの基礎を作りつつある。
東日本大震災の後、ボランティアとして南相馬へ。コミュニティスペース管理などと共に「南相馬ダイアログフェス」、市民プロジェクト「みんな共和国」で中 心の一人に。5月には責任者として「みんな未来センター」を市役所近くに開設した。