» 地球を一周する船、ピースボートと水先案内人
昨年に引き続き、1000人を乗せて地球一周をする客船・ピースボートにゲストとして乗船した。
横浜を出港し3ヶ月半、船は地球をぐるりと一周し、また横浜に戻ってくる。
ピースボートは廉価な客船で、地球一周が100万円前後から。他の豪華客船に比べてお値段10分の1。
それは収益性よりも、「多くの人が新たな経験をする」という公益性に重きを置いているからだと思うんだけど、実際の運営は 船なのに 火の車だそうです。ワオ!
そんなピースボートの洋上生活に彩りを添えるのが、私のようなゲスト「水先案内人(略して水案)」。
photo by 岡田圭太
水案は、世界中のジャーナリストや活動家を招き入れ、日本からは芸能人やミュージシャンも参加する。
今回の船旅では、ニュージーランドを拠点とする四角大輔さんや、世界的な画家のDragon76さん、ミュージシャンのchan-mikaさんらも水案として乗船していた。
photo by 岡田圭太
水案のミッションは、洋上でパフォーマンスや講演をすること。新しい知見や技術や娯楽を提供すること。
船の乗客は老若男女、下は2歳から上は90歳近くまで、ありとあらゆる世代が乗っていて、時には冠婚葬祭もあり、まさにミニ社会!
よって全世代や、いろんな趣味に対応した水案が乗船します。世界からのゲストは、ボブ・マーリーの娘さんや、ガンジーのお孫さんや、著名な人がたくさん!
» 水案として船に乗る
メキシコシティの上空
今回、私は車を2回、バスを1回、飛行機を4回乗り換え(!)、鹿児島からメキシコの港町マンサニージョに向かった。アメリカのロス乗り継ぎでは、乗り継ぎなのになんと入出国審査が必要で、それだけでも2時間以上かかる。飛行機で一泊、メキシコシティでもう一泊、マンサニージョで船に合流した時点で既にヘロヘロ。
マンサニージョの港 photo by 岡田圭太
船と合流し、若干の休憩後、スタッフと打ち合わせ。船上での計画を立てる。
そのままハワイ経由で3週間、日本まで船に乗った。
今回の乗船では、鹿児島での低負荷な暮らし、NVC(非暴力コミュニケーション)、システム思考、電力自給、エネルギー問題、政治と選挙、先住民技術、火起こし、文章講座、プレゼン講座、RAW現像、鶏の解体の仕方、版元の作り方、ファブラボについてなどなど、広範な技術と知識のワークショップと講演を行なった。
photo by 岡田圭太
photo by 岡田圭太
講演は、船内最大のホール「ブロードウェイ」では350席ほどが満席となり、立ち見が出、
ある程度動きを伴うワークショップができるホール「スターライト」でも計200席が埋まり、やはり立ち見が出て入れないほど。
まさに満員御礼、ありがとう!
連日、最低でも3本の講演を担い、多い日には小さな出番も含め5本になる日も。
他の水案はここまでハードにやらないらしいのだけど、せっかく3週間もの間、1000人に向けて自分のメッセージがどのように伝わるかの社会実験ができる場なのだから、それを試さないことにはもったいない、と思いまして。
自分にとっての水案の意味は「1000人に向けて過去1年の自分の成長を試す、表現の武者修行」というのがしっくりくる。
» 生ゴミ問題を手掛かりに、消費者から実践者への転換に取り掛かる
また、ピースボート船内では乗客が自主的に企画する、その名もズバリ「自主企画」があるのだけど、とりわけその中でも環境問題についてを各々が発表する、1日がかりの自主企画がありました。
その中で若い乗客たちは、本で読んだりググったりした事で、あれがいい、これが悪いと、やいのやいのやってるわけです。
もう私からするとそれはもはや、何がなんだかわからないので(実経験から得ていない知見を、未経験者が未経験者に発表する意味はなんだろう?)、急遽介入して、とりあえず実践からやってみよう、ということを言いました。
その一例として、ゴミの問題を考えるチームに、
・まず船内レストランの食べ残しや、生ゴミの処理をどうやってるのかを調べること
↓
・クルーに聞くと「ディスポーザーで分離破断してうんたらかんたら(言語の壁でよくわからなかったけど、専用の機械もあるし、ボイラーの排熱もあるし、うまいことやるんだろうと推測)」とのこと
↓
・では日本の生ゴミは一般的にどうやって処分されているのかを調べてね
↓
・重油をかけて燃やす
↓
・日本での生ゴミ処理に使う重油をどうすれば不使用にできるか
↓
・乾かす!
↓
・じゃあ甲板デッキで実際に乾かしてみよう。やれば、それが現実的な時間や労力で達成可能な目標なのかがわかるはず。
というわけで、レストランで出たバナナの皮を、太平洋上の甲板で乾かしてみたわけですよ。
ルーペで集光してみたり、網がないのでうちわの骨を網にしたりして、Let’s 実験!
その結果、太平洋では晴れの日に6時間甲板に置いておけば、バナナの皮は火がつくまで乾くことがわかった。
相当効率の悪い干し方をしたので、ある程度の反射板や、熱が拡散しないガワを作れば、もっと短時間で解決するはず。
んで私思うに、こういった簡単な実験経験から始まらないことには、難易度が理解できないので、
簡単にテクノロジーの側に行っちゃうというか、「電熱線とファンで強制乾燥」とか「重油をかけて燃やそう」とか、そもそも放っておけば自然現象で解決できることに化石燃料やウランを使っちゃうわけです。
そういうの、良くない!
» 問題提起は人をエンパワーメントしない
こうした一連の介入の他に、今回ハワイで鶏をさばくツアーもやったのだけど、そういった初めに体験を置く「テンダーなりの解決モデル」を船に持ち込んでみた結果、「ピースボート的習慣」との相違があらわになってきた。
そこから得た教訓の一つが「問題提起は人をエンパワーメント(勇気づけ)しない」というもの。
ピースボートは世界中の寄港地を巡りながら、ありとあらゆる社会問題や政治課題に乗客の目を向けさせようとする。
(当然、ピースボートも客商売なので、娯楽のツアーやプログラムもたくさんあるのだけど、元々世界を知るために立ち上げられた団体なので、学びを重んじる精神は今も脈々と続いてる)
ところが、社会問題や政治課題など、大量の情報がぐわーっと目の前に来ると、ほとんどの人が
・目を背ける
・受け止めきれず、迷いや悩みが生じる
のどちらかの反応をすると思う。
現に、船の上でも
・政治的、社会的プログラムには一切参加しない面々(なんと世代は無関係)と、
・政治・社会課題のプログラムにばかり参加して、答えを見つけようとする参加者と、
ある程度住み分けができていた。
目を背ける場合は、まだそういうタイミングではないのかな、ということで深追いしなくていいと私は思うのだけど、
迷わせちゃう場合は問題だ。それは目的に合致しない。
船の上では、問題提起は延々と続くが、解決法としての思考方法や、実験方法、伝えるためのプレゼンテーションの技術などは特に提供されない。スタッフが面倒を見ることもあるけれど、基本的にその裁量は自主企画に任されていて、これでは情報の受け手は困っちゃうだろうなぁ、と思ったわけです。
» 解決には技術がいる。技術は人をエンパワーメントする
そこで、試みに技術を持ち込んでみた。
photo by 岡田圭太
具体的には、
・「システム思考」と呼ばれる考え方の技術
・対人関係の質を変える「NVC(非暴力コミュニケーション)」
・ストーリーテリングを含むプレゼンテーションの技術
・文章の書き方
・路上でのお金の稼ぎ方
などなど。
個人的に衝撃だったのが、文章講座の始めで「まず文章を書く時は、初めに設計図を書きます」と言ったら、大勢がびっくりしていたこと。
もしかして、今まで書きながら結論探してたの?
そんなの時間かかってしょうがないじゃん!
というわけで毎日1時間の講座で、それぞれの悩みに対する解決のための方法論や技術を提供し続けた結果、
なんと、意外とみんな解決した!
これまでに十数時間とミーティングをしたものの、一向に進まなかった企画がつるんと進んだり、
帰国後の生活費のない子が、船上で絵を売って1日で3万円稼いだり、
事実の羅列になりがちだった船上のプレゼンスタイルが、一気に情熱的で訴求するものになったり。
ここには書ききれないほど、いろんなグッドフィードバックがあった。
やー、技術ってすげえ。
そして、何かを解決した子たちはもれなく、声も大きくなり、晴れやかな表情で、確かな自信を得た様子。
うむ、やってよかった。
(思えば、生まれてこの方、学校教育では「実際に使える解決法」ってあまり習わなかった気もする。「こういうことがある / あった」という現象を習うばかりで、困ったことを解決するための技術としての教育を、少なくとも私は受けてこなかったなぁ)
» 情報過多な社会デザインに
システム思考では、うまく行った / 行かないを、個人の責任のせいにしない。
NVCでは、要求が伝わらないのは、要求が明確ではないから、という側面も考える。
船に乗った当初、スタッフからは「今回の若い乗客たちは、社会問題に食らいつく熱意があまりなくて・・・」みたいな言葉を聞いてたのだけど、
私がやり取りを深めた面々に、熱意のない人はいなかったように思う。何をどうやるかの、やり方がわからなかった人は、いたかもしれないけれど。
あるいは「若い子の反応が薄い」とされる場面でも、そもそも呼びかけ側が、どういう反応を返してほしいのか明確でない場面には何度か遭遇した。
そんな場面でも、しっかりと技術や考え方が提供されたなら、それまでの葛藤が簡単に打破されてしまう現実を何度も見た3週間でした。
今回の経験を通して、話が個人の能力や責任に行く前に、そもそもそこには十分な技術が提供されているのか、ということを深く考えるようになった。
photo by 岡田圭太
そして船が日本に着き、日常に戻り驚くのは、この日本社会の情報量の多さ。
ピースボートは社会の縮図でしかない。
日本では船より遥かに膨大な情報が提供されているが、やはり解決法は提供されず、迷いが量産されるデザインになっているように思う。
情報を得るのは、なんのためだろう。目的地はどこだろう。
人生に意味を必要とするのなら、情報入力を減らし、技術を身につけよう。
道具を必要とせずに、ものを観察し、考える技術が身につかない限り、人生は困難と消耗に溢れるだろう。
photo by 岡田圭太
船に乗ってふと思ったのは、
人が迷うのは、社会デザインの結果なのではないだろうか。
なぜなら解決策を知っていれば、迷う必要はないからだ。
ところが日本では今のところ、「お金を使い消費する」ことが解決策になっているように、私には思える。
でもそれは、本質的じゃない。お金は誰かの労働、つまり時間を買っているに過ぎないからだ。
解決策を知る者は、消費から逸脱できる。
さて、目的地はどこだろうか。
先入観に囚われずに、目的地を探そう。
情報によって植え付けられた「困難への過大評価」は、いくつかのささやかな技術によって紐解くことができる。
つまるところ、先入観だけなのだ。
次の文化へ、進もう。