特集【東北の今】宮城県石巻で復興ボランティアに体当たり

桜が満開に咲き、絶好の花見日和の東京を発ち、4月15日から18日、ピースボートapbankが共同で募集していた被災地ボランティアに参加した。宮城県・石巻の桜はまだつぼみ。晴れてじりじり暑いと思いきや、冷たい雨が降り注ぎ、さらには暴風が吹くという変わりやすい天気は、ここが海の近くだということを実感させる。

募金も物資提供もしたけど、やっぱり現地へ行きたいと模索していたときに知ったこのプラン。「ボランティア休暇」などない会社に勤めている私にとって、土日で行けるというのはとても有難かった。

出発前に説明会があり、実際の作業、持ち物、注意事項などが説明された。その後5人ずつのチームを作り、行動を共にすることになった。

1日目・15日夜、3日間で必要なものを全て揃え、満を持して集合場所へ。バスに乗り込み、石巻へ向かった。

2日目・16日早朝、拠点へ到着。着替えなどを済ませ、被災地へ向かう。今回の作業は泥出し。レインコートに安全長靴、耐油手袋に防塵マスク、ゴーグル、ヘルメット、ヘッドライトという完全防備で現場へ向かった。


apbankテント前で説明を受ける。土日だけで100人ほどが集まった。
ボランティア・コーディネートの中心になっていたのが、アースガーデン・スタッフの中村真奈美さんだったことには驚いた。


移動のバス窓から見える全壊の家々。


お借りしたヘルメット。(おじさんマークがかわいい!)


道路の両側に積み上げれらた家財道具

私たちが作業をしたのは、商店街にある飲食店。一見建物は無傷だが床には高さ10cmほどのヘドロがびっしり。ヘドロは水分や油を含み、想像以上に重い。店内に窓はなく、ましてやライトもないため、真っ暗闇での作業。ヘッドライトと懐中電灯を頼りに作業を進めた。かき出すほどにいろんなものが出てくる。靴、座布団、ヒーター、皿、ガラスの破片、食材…。いくら寒い所とはいえ、1か月も経てば腐るものは腐る。強烈な臭いに耐えながら、何が出てくるか分からない作業は続く。


作業に入った飲食店。手前の道路は地盤沈下のためへこんでいる。

この日は15時半で作業終了。洗い場で道具と身体を洗い、バスへ乗り込み拠点へ戻った。ものすごい暴風の中、私たちはapbankが用意してくれたテントをお借りした。4月中旬とはいえ、夜は極寒。服を着こんでカイロを3つ使っても、寒くてなかなか寝付けなかった。避難者の方はこんな夜をいくつ越えてきたのだろうと、思いを馳せながら眠りについた。


キャンプ地からの夕焼け。手前のテントは強風で壊れている。

3日目・17日は、昨日の続きで飲食店へ。泥出しは済んでいるので、床を水で流し、午前中いっぱいで床が見えるようになった。


水の線。高さ170cmほどはある。


この床一面にヘドロがあった。

昼食の後、別の現場へ。50年続くお蕎麦屋さん。到着すると、オーナーのおばちゃんがキッチンで作業をされていた。最初の現場とは違い、ヘドロはかき出されていたため、壁やキッチンにこびりつくヘドロを流す作業についた。

話し好きのおばちゃんは、地震当時のことなどいろんな話をしてくれた。「営業はどうしましょうかねぇって、お父さんと話してるのよ」と暗い表情を見せたおばちゃんに「お母さん、きれいになったよ!」と話しかけたメンバー。泥まみれの招き猫を洗ってあげていた。「あら~ありがとう。これね、家族で浅草に行った時の思い出のものなのよ~。」
ボランティアが“作業”で終わってしまうのは悲しい。“作業”の先に、“想い”が垣間見れることが、私たち素人が「ボランティア」として現地へ行く意味だとも思う。

この日の作業は16時で終了。ヘドロの臭いが残る荷物をまとめ、深夜、石巻を後にした。

今回の大震災で、「なにかしたい」と思っている人はたくさんいる。その「なにか」の突破口を開いてくれた、ピースボートapbank。そこに参加したたくさんの人たち。ここでは、ある意味“全員が素人”。今回の大震災は、世界中の人にとって初めてのこと。その中に「こうすればうまくいく」という理論はない。すべては、この地の復興のため、この地の被災者のために、同じ方向を向いて、手探りで動いている。ボランティアに参加する人も、ボランティアを動かす人も、みな同じ。それぞれできることを探し、自分から動いていく。そうやって一つずつ、人の手で変化が生まれていく。
この地に来て、“日常”が“被災地”になった場所の空気を感じ、ここに集まっているたくさんの“想い”に触れた。この“想い”が続く限り、未来は明るいと感じた。

被災地の桜は、満開に咲いた。失われた時間と、流れゆく時間を見つめながら。次の季節が巡るまで、どれだけのことができるのだろう。被災地のため、地球の未来のため、たくさんの人が動いている。私はちっぽけな一個人でしかないけれど、できることを模索し、行動し続けていこうと思う。