「いつの世にも、革命は20代が起こしてきたのよ、頑張りなさい」と言ってくれた時の、緊張感と暖かい心。体は小さいけれど、大きな大きな意志がはっきりと分かる。原子力の問題に長く関わってきた登紀子さんはまだ少しも諦めていない。
絶望に立ち向かうための力をつけなきゃいけないね
加藤登紀子
加藤「宮崎駿さんの『一人デモ』のことを知ってる?
スタジオジブリのパンフレットの表紙で「NO !原発」というプラカードを首に下げ、4人と犬1匹でスタジオの周辺を歩いている小さなデモ。あれはすごく心に打つものがあったのね。誰かの呼びかけに応じたのではなく、自分からやったってところとか、犬の散歩をしながらのデモっていうこととか(笑)
今の反原発デモは非日常じゃなく、もっと日常にあるべきだと思うの。私も孫の乳母車を引きながら参加したけど、なぜなのか、デモを歩いている人と、横の歩道を歩いている人との間に見えない線が引かれちゃう。
原発のこと、放射能のことはデモの中に入ってる人だけが感じてるんじゃなくて、そこでお買い物しているあなたも感じなきゃいけないことでしょ?デモしている人と、していない人の間に一枚の壁もあってはいけないことでしょ?って思う。」
南兵衛「どこか他人事として捉えている人が多いですね、実際に低線量ではあっても関東にいる人は被曝しているのに。」
加藤「20ミリシーベルトという基準は非常に危険だとか、給食に本当に安全か分からない福島産の農作物が使われているか、心配なことを上げればきりがない。でも、一番心配なのは、安心できる基準を示せないまま、情報の混乱に中に福島の人たちも私たちもがいること。政府が決める基準や判断が本当に正しいのか、正直誰もわからない。今はまさに「絶望」の時代を共に歩んでいると言っていいんじゃないかしら。
でも、今までどんなに辛いことがあっても、文明が崩壊しても、命は乗り越えてきたの。戦争に負けたって、なんとしても生き抜いてきた命があった。子どもが生まれれば、親は何としても子どもを守るために、生き抜いた。原爆の焼け野原の中、お母さんはお米を研いできたの。お米を研いで食べて何とかして生き抜いてきた。
その命の源が土と水。それさえあれば、文明がどんなに崩壊したって希望があった。その土と水が汚された。そういう意味では、今はまずきちんと絶望しなきゃいけない、挫折しなきゃいけないと思う。
60年代の時は政治的な宣言だったから、デモ隊と市民生活の間にバリアがあってよかったかもしれないけど、今のほうが見えないバリアを感じます。原発が怖いという気持ちはイデオロギーでもなんでもない。日常の切実な願いなのに。バリアを崩すにはどうしたらいいんだろう。デモがアピールをすればするほど、バリアが作られちゃう気がして。だから、私はお買い物する人たち、子どもの手を引いて幼稚園に送りに行く人たちが毎日「NO原発」ってプレートを持って生活したらいいんじゃないかって宮崎さんのことを見て思った。
デモっていうのは、毎日なんだ。日常のすべてが「NO原発」につながるアクションなの。」
南兵衛「今、『土と平和の祭典』をやることは、とても意味があることですね。」
加藤「そうね。今年で5回目。1回目の開催は本当に手探りで、見切り発車でした。実際、実行委員の中には農や土に関して全くの素人も多かった。だから月一の勉強会からスタートしたの。大地を守る会の藤田さんや、ナマケモノ倶楽部の辻さんなどを講師にいろんなことを勉強した。世の中の人もまだ食とか土の不安とかに関して真剣に向き合っていない時期だったから、どれだけの人が興味を持って来場してくれるかドキドキだった。
でもね、とにかくいっぱい来てくれた。マーケットもたくさんのブースが並んだし、「土」の部分として、農をやってる若い人達のトークがあり、「平和」の部分として原発のこと、エネルギーのことを繰り返し話してきたの。農村での問題提起が「土」で、都市での問題定期が「平和」。両方を同じ場所で話す場を作ることができた。
おいしいものを食べて「おいしいね」と感じたり、農業している人たちと会って「逢えてよかったね」と感じたり、具体的に体感することが大事。暖かい火を自分の中に灯してくれるというか、もちろん政治は動かさなきゃいけないんだけど、激論とか激しいアクションじゃない何か日常の中で行わなきゃいけない。「土と平和の祭典」はそういう場であってほしい。
合言葉は『命結(ぬちゆい)』。命するものはつながっている。目に見えなくても大きな土の上にね」