この対談が気づかせてくれるのは、幸せのあり方なのではないか。一人一人の小さな個人の選択の先に、様々な希望が待っている。それは、自分が選び取った現実を肯定して、希望を持って『生きる』ことができることでもある。全てが絶望なわけではないし、全てが希望なわけでもない。白と黒の間にあるレインボーを選べることが幸せなんだと思う。
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http://www.earth-garden.jp/study/41653/
今回お話を聞いたのは、広島県尾道市にあるちょっと変わったCD屋さん「れいこう堂」の店長 信恵さんの日常を追ったドキュメンタリー『スーパーローカルヒーロー』の田中トシノリ監督。『六ヶ所村ラプソディー』『ミツバチの羽音と地球の回転』など、核や被爆の問題を長年追い続け、最新作では福島、そしてチェルノブイリ後のベラルーシで生きるお母さんたちの思いを伝える『小さき声のカノン―選択する人々』の鎌仲ひとみ監督。そして、『小さき声のカノン』の音楽を担当するSHING02も少しばかり参加した三者対談。さっそく前半ご覧あれ。
『スーパーローカルヒーロー』は、3/21(土・祝)〜4/3(金)まで、新宿K’sシネマ他、全国順次公開
いい人をいい人のように撮っても映画にならないよ
田中 ぼくは3.11が起きたときにロンドンで仕事していたんですが、映像とってる場合じゃないなっていう感覚になってしまって。だから僕は地元である尾道に帰って、そこで自主避難してくる人たちのサポートをしたいと思って。尾道の友だちに相談したら、そういうことをしている人はもういるよって紹介してくれたのが、信恵さんだったんです。
鎌仲 それで、れいこう堂にいったんだ?
田中 そうです。僕は、尾道に戻ってから勝手に信恵さんの手伝いをやっていて。シェアハウス掃除したりとか、福島から来た人をケアしたりとか、そういうのをやっていくうちに、このおじさんはすごい人だなって気づいて。今起きていることを記録して、信恵さんの思いや活動をアピールしたいなと思ったんです。
鎌仲 相談しに来てくれたよね?映画作りたいんだけどって。
田中 そうなんです。まだ、まだ方向性も決まっていないときでした。
鎌仲 そのときに「いい人をいい人のように撮っても映画にならないよ」って言ったんだ。
田中 そうです、よく覚えてますね!
鎌仲 つまり、この人はいい人だよっていうことが、予め分かっちゃう映画はみんなあんまり見たいと思わないんじゃないかなって。だから、信恵さんがこんなにすごいとか、こんなにいい人っていうところから撮るんじゃなくて、こんなにドジな人とか、不器用とか、こんなにみんなと違うことをやっていて、すごく変な人と思わているけど、実は、、、って。
SHING02 意外性みたいな.
鎌仲 そうそう。いい人をいい人だっていうのは単純すぎるので。
田中 その不器用さは隠そうと思っても隠せませんでした(笑)
小さな人の大きさ
鎌仲 信恵さんは、不器用で、何をしてあげたらいいか分からないんです。だから、その人達の周りで何かできないかと、ウロウロする。家を用意したり、何か運んだり、掃除を手伝ったり、子守したり。ありとあらゆる、できることをしたいっていう風に身体を動かしちゃうんだよね。その人の苦しみが自分の苦しみと重なってしまうというか、共感するという姿がある。そういうあり方が、避難してきた人にとっての支えになるんじゃないかなと思う。外野からあーだこーだ言うわけではなく、見守るだけでもなく、何かできることはないかと関わってくれる。こうやってずっとやってきたんだなって思った。私たちはね、福島の人が抱えている様々な苦しみに、何ができるかということをもっと考えてもいいんじゃないかと思ってます。それがローカルヒーローのローカルヒーローたる所以っていうか。
田中 本当にそのとおりですね、信恵さんを見た人は、彼の原動力は何なのかすごく気になるみたいなんです。それは信恵さんに聞いても絶対わからないんですよ。そばにいても僕が感じたのは、愛とか思いやりだけなんですよね。誰かに愛を渡して、何かが返ってくる。それをずっと繰り返している。考えてないんです、行動が先に出る。
鎌仲 そういう風に、信恵さんの存在はどういうことなのかと見つめる視点をもっている人はあまりいなかったんじゃないかな?みんな慕ってるけども、信恵さんの存在自体を考察するというか。
田中 そういうのは、作っていくうちになんとなく見えてきたんですよね。信恵さんだけがすごいんじゃなくて、全国各地に信恵さんのような人がいて、文化を支えていたりとか、人と人とをつなげるような役割の人が、地域に必ずいると思うんです。信恵さんがやってることは、すごくシンプルで、難しいことじゃない。
鎌仲 わたしの映画のタイトルには「小さき声」ってあるけど、小さいことの価値っていうのをもう一度、見出すというか、そういうことでは、田中監督の映画ともとても共通してるんです。信恵さんは、すごく小さい人なんだよね。お金持ちじゃないし、影響力が大きい人でもない。でも、そんな小さな人が、自分の気持だけでやってることの大きさ。そこに田中監督が光をあてて、小さい人が自分の愛情でどれだけ世界を広げているか。それを一本の映画の中で濃密に描いていることが素晴らしい。小さな人の大きさというか、小さい人が自分の意志を持って為すことの価値という意味では、私の映画と全く同じなんです。
あなたが決めてあなたが行動した。そのことに価値がある。
田中 鎌仲監督の映画と僕の映画のタイトルを入れ替えたとしても全然OKなんです。そのくらい、僕も共感して、一緒だなと思いました。のぶえさんのような人、つまり『スーパーローカルヒーロー”ズ”』ですよね。それは『カノン』だから、みんな違っていいんです。そういう人たちが、どんどん増えていくことに、希望があるんです。だから『ここに希望がある』んですよね。
鎌仲 いろんな人達が、3.11のあと「選択」をしなくてはいけなくて、その選択が100%正しいわけじゃないから、それを外野が責めるということが起きたと思うんです。でも、わたしは自分の映画の中で、一人がした選択をリスペクトするというか、尊重するというか、あなたが選択したその答えは、あなたが決めてあなたが行動した。そのことに価値があるっていうことを伝えたくて。多様な価値、多様な選択をいかに認め合うかっていうことから始めないと、分断されてしまうから。実際に、家族の中でも、コミュニティーの中でも起きたことです。そういうことは、これからどんな問題が起きても起こりうる。考え方の違いがあっても認めあえるという、土台がないといけないんだよね。
田中 僕の映画の中では、自主避難してきたお母さんが、東京に帰るんです。僕は今でも子どもは東日本から避難してほしいと思っている。でも、僕は東京に帰るお母さんを映画の登場人物として選んだんです。これに対する批判もありました。なんで、それ選ぶのって。避難してほしいのに、これじゃあ見た人が「東日本に帰る」ことが正しいって思っちゃうでしょうって。でも、ぼくは、考え続けて、自分で選択するということを尊重したかった。信恵さんもそのシーンで賛成も反対も言わないんですよ。もちろん寂しいんです。子どものことを、孫のようにかわいがっていたし、とても仲が良かった。僕も撮影しながら悲しくて、手も震えてるんですけど、それでもやっぱり、あのお母さんの選択は尊重しなきゃいけないし、それが現実なんです。
鎌仲 わたしの映画も同じような批判がありました。でも、いかに多様な選択をそれぞれが認め合うかっていうことに尽きるんですよね。生き延びようっていう様々な工夫の中で、これが絶対正しいとか、間違っているとか、そんなこと言えないですよ。白と黒じゃ問題は解決しない。福島に帰ってしまうことで、いろんな意見が出るとしたら、じゃあそこで話しあいましょうっていうことなんです。お母さんたちは自分の思いを心の奥にしまいこんでいる。世間体の中で生きていかなきゃいけないから。信恵さんみたいなことをやっているとママ友とかできないわけですよ。だから、お母さんたちは自分の意志を出すというか、世間で言われていることと違うことを考えなきゃいけないという壁にぶつかったんですよね。そこは、すごく泣きながらですよ。どうしたらいいのか、揺れたり悩んだり、言い合いになったりっていうこともあるはず。これまで、原発のこと、被曝のことを撮ってきたけど、やっぱりいちばん自分の近しいところで起きているから、すごく難しかったです。
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『スーパーローカルヒーロー』は、3/21(土・祝)〜4/3(金)まで、新宿K’sシネマ他、全国順次公開
『スーパーローカルヒーロー』のプレイベントが行われました。
青柳拓次 / EGO-WRAPPIN’ (中納良恵+森雅樹+菅沼雄太)/ 曽我大穂 / トウヤマタケオ / 二階堂和美
映画『 小さき声のカノン―選択する人々 / Little Voices from Fukushima 』
はじめはみんな、
泣き虫なフツーのお母さんだった。
『六ヶ所村ラプソディー』『ミツバチの羽音と地球の回転』の
鎌仲ひとみ監督最新作!
福島、そしてチェルノブイリ後のベラルーシ。
お母さんたちは、“希望”を選択した。
東京電力福島原発事故から4年。事故による影響は安全である・危険であるといった議論からこぼれ落ちる声が存在している。それは不安な気持ちを抱えたお母さんたちの声だ。かつてチェルノブイリ原発事故を経験したベラルーシでは、子どもたちに何が起きたのか。お母さんたちはどうやって子どもを守ろうとしたのか?福島とチェルノブイリとの時間差は25年、今なおその影響が続いていることは、実は知られていない。日本のお母さんたちと同様、不安を抱いたお母さんたちが大きな声に流されることなく、直感にしたがって子どもたちを守る道を探し続けている。事故の衝撃に立ちすくみ、ただ困惑している時期は過ぎた。希望を具体的につくり出す新しいステージに今、私たちは立っている。迷いながらも日本のお母さんたちが自分たちの意志で動き始めた。そんなお母さんたちの小さな声が、国境を越えて響き始める。
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映画『スーパーローカルヒーロー』
瀬戸内の街。荷台いっぱいで駆け回る、一台のオートバイ。
日に焼けた、どこかユーモラスなおじさんがつなぐ出会いと
“いま”を生きる背中が教えてくれるものは…。
あるライヴ映像から、この映画は始まる。ステージ上のミュージシャンが感謝の言葉とともに呼びかける、その名は「ノブエさん」。「ノブエさん」は「おじさん」である。西日本の小さな街広島県尾道市で、風変わりなCDショップ「れいこう堂」を営んでいる。身銭を切りながら多くのインディーズミュージシャンをライヴに呼び続けた、情熱の人。ノブエさんとれいこう堂に訪れた危機は、ミュージシャン達を突き動かす。インタビューと残されていた貴重な映像が、その時の空気を呼び起こしていく。 そして復活。「動かなければ何も伝わらない」「一人でもやる」。感じたら、とにかく行動するのだ。店はほったらかしで西へ東へ。子ども達のため、音楽のため、目の前の大切 なコトのために。走り回るノブエさんを気遣い、感化され、それぞれがまた彼の支えになる。その小さな力の集まりが、いくつもの無謀なチャレンジを成功させ てきた。音楽と人が、人と人が、型破りでどこまでも温かいノブエさんの“ライヴ”でつながり、弧を描き出すのだ。「このおじさんを知ってほしい」。撮り手である監督の素直な思いと視線は、ノブエさんを追いながら日本の今をも気負うことなく浮き彫りにする。そして本当のヒーローの居場所へと、観る者を導いていく。誰もが誰かのヒーローになれたなら…。一人のおじさんの記録が今、僕らの明日を予感させる物語になる。