こんにちは。現在青年海外協力隊員として、アフリカ西端に位置するセネガル共和国で活動を行っている山口織枝です。私は今、首都ダカールより北東200km程にある、ルーガ州の州都、ルーガ県ルーガ市に在住しています。こちらの連載では、生活視点から見えるアフリカ・セネガルの日常風景を、お伝えさせていただきたい、と思います。どうぞよろしくお願いいたします。
テランガ = おもてなし
初回である今回は、セネガルにある、「テランガ」と呼ばれる風習のことを。
「テランガ」とは、「ホスピタリティ」や「もてなし」といった意味を持つ言葉です。
セネガルの人と友だちになると(実際に、道を歩いていて話しかけられてそのまま立ち話をすると、その場で「友だち」となることも多い)、すぐに「家にご飯を食べに来なよ」、「お茶を飲みに来なよ」と誘ってくれますし、お昼ご飯を食べている軒先や店先などの前を通り過ぎようとすると、「来て一緒に食べなよ」と誘ってくれたりもします。
そして、セネガルでご飯を食べれば誰もが体験することだと思いますが、セネガルのご飯は大皿を何人もの人で囲んで一緒に食べるというスタイルが一般的です。
実際にお家にお邪魔してご飯をごちそうになると、大皿で料理が出て来て、それを作ってくれた一家のお母さんや、招いてくれた人が、ご飯をいただく途中で、大皿の上に乗った野菜や魚を、客人である私に切り分けてくれたりします。
チェブ・ジェン(魚ご飯を指す代表的なセネガル料理。油と水、コンソメや玉ねぎやトマトペーストと共に煮たご飯に、煮込んだ野菜や魚を付け合わせて食す。)でよく目にする、ごろっとそのまま煮込まれた野菜は、それを一緒に食べる人たち皆で分けて食べ、ひとりで丸ごと食べたりしてはいけないという習慣があります。また、どこに行っても、必ず「座りなさい」と、来た人に対して席をすすめ、その場に椅子が無ければわざわざ運んで来てくれたりもします。
町の中を走るバスに乗っても、席があれば「座りなさい」と声をかけてくれたりしますし、友だちになった人の家に行ったときには、帰り際に、自分の部屋から服を持って来て、私にその服をプレゼントしてくれるなんてことも。
またときには、「(テランガで、)人に分け与えることにばかり使っているので、自分の銀行口座はゼロだよ!」と冗談交じりに言っている人の姿も見かけたり。
このように、人をもてなし分け与えることが日常的に行われているセネガルの人たちの中には、骨の髄まで、この「テランガ」という文化が浸透していることを感じます。義務的な感じは無く、あくまで自然と、それが当たり前のことであるという雰囲気がそれを象徴していると、日々感じています
「平和」の鍵としての「テランガ」
もしかしたら、セネガルの人口の9割以上を占めるイスラム教の教えの影響も大きいのかもしれません。加えて、これは私の個人的な考えですが、「自分のもの」と「他者のもの」という区別自体が、あまり大きな意味を持っていないのかもしれない、とも思います。
そしてまた、このセネガル社会の中で、ものを共有する、ということは、親しさの象徴のような意味を持つということもあるのかな、という気がします。
たとえば、あたかもそれが挨拶の一部であるかのように、「(身につけている)その帽子ちょうだい。」「その靴ちょうだい。」と言われる事もよくありますし、用事があって、首都ダカールに出かけて帰ってきたとき等に、「Cadeau(カドー。旧宗主国の言葉、公用語のフランス語で「土産」を指す)は無いの?」とときに冗談交じりに、ときに決まり文句のように聞かれるのも、セネガルらしいことなのかな、と思います。
このような、人と人との結びつき、そしてその間にある、ものや「もてなし」の交換、そして共有は、セネガルの社会に深く根付き、それを支える強固な基盤としての役目を担っているのではないかと思います。セネガルにおいて多数の人が話す言語のひとつであるウォロフ語で、「Am na jamm.(=平和がある。)」という言葉はよく聞かれるのですが、人びとが認識しているこの「平和」の鍵が、この「テランガ」という文化の中にあるのではないか、と思います。