おれ様からおかげ様~35歳の成道会~【コラム|BUDDHY WEDNESDAY】

6年前の冬、はじめてインドを訪ねた。当時ぼくは29歳、シッダールタ(のちのブッダ)が、地位も名誉も捨てて出家をした年齢になっていた。おなじ歳だった彼を慕って、その求道した旅路を辿るように歩いた。

彼は6年間の修行を経て、衰弱しきったところ、村娘スジャータに乳粥をもらい、ブッダガヤという場所の菩提樹のもとで、瞑想に入る。そうして12月8日、明けの明星とともに悟りを得たとされる。シッダールタ35歳、ブッダ(道を成し遂げた者)の誕生。ここから、12月8日は「成道会(じょうどうえ)」と呼ばれる。シッダールタが「道を成し遂げた日」。

ブッダガヤに到着すると、そこにはかつての菩提樹の子孫とされる大木が、今も葉を茂らせ、巡礼者たちを迎えていた。近くにはスジャータの村も残っていた。伝記として伝え聞いてきた物語の舞台にふいに入り込んだような、インド大叙事詩の最後のページに自分の名前を見つけたような感覚。あの混然とした倒錯は忘れられない。

そんな旅から6年が経ち、ぼくは今年35歳になった。出家をしたシッダールタが「道を成し遂げた」年齢に追いついた事になる。この6年間を、ぼくはどのように過ごしてきたのだろう?

何を成し遂げたか、記憶や思考を手がかりに考えると、一対になって成し遂げられなかった事も浮かんでくる。いったん、思考を脇に置いてみるとどうか。
この6年で亡くなった人を想ったり、環境の変化に思いを馳せると、6年たらずで既に全く違う地平に佇んでいる事がわかる。

当時の仲間とは縁遠くなっていたり、あのころ未だ出逢っていなかった人物に、こんなにも影響を受けていたりする。人生が出逢いによって引っ張られているのがわかる。
引力。現実が、事実が先にやってきて、それに合わせていっているような。自ら切り拓いたというより、到来するものに対処していくうちに、気付けば遠くまで来ていたような。

そう思えば、この6年で成し遂げた事は、自力から他力への転換だった。
おれさまからおかげさまへの転換。
ここへ来てようやく、かかわりの中で周りに支えられて生きてこられているんだとしみじみ思うようになった。

35歳で迎えた成道会の当日、12月8日は、すばらしい1日だった。朝から希望者と数人で坐禅し、午後には参詣者と経を読み、アコーディオンで歌を唄い、夕時にはブナの樹を植えた。その一連の流れは、寺のスタッフ一人ひとりが、時に表に出、時に裏方となり、互いを十全とサポートしていた。相互依存して成り立っている社会の縮図のようで、当事者意識があるぶん尚更、充実の1日だった。

こんな日が想像ついただろうか。
いや、やはり現時点で、6年前に思い描いていた未来にはなっていない気がする。そもそも思い描いていたかもあやしい。自らのビジョンは不確かで、思い通りになっていないのは確かなのだ。

そう、思い描く、とか、思い通り、とか、思考に囚われそうになったら、呼吸に返ってきたい。ふだん無意識でいるこの「呼吸」に。なぜならここには実感があるから。この吐息が、生存の証明だから。

ぼくたちが、今を、生きている、という、確証。

この事実にフォーカスできた時、ぼくはその瞬間ブッダになっているのだと思う。そしてそれを忘れた時、まだまだ道の途中だと思う。

6年後はどんなだろうか。
シッダールタがブッダになってからも80歳まで旅を続けたように、旅を続けているのだろうか。

ちょっとポップな仏教の話「BUDDHY WEDNESDAY」