人生って、こんなふうに劇的に変わるのね。大きな自然災害や戦争、紛争などに巻き込まれた人たちの気持ちが0.00001%くらいは実感できたのかもしれない。
自分の努力や経験を遥かに上回る圧倒的なパワー。自分にはコントロールできない荒波にすっかり飲み込まれてしまった。
コロナ禍だからこそ敢えて考える野外フェスの楽しさ
ライブハウスの営業自粛を皮切りに、今ではあらゆる職種がストップしている。当然、野外フェスもできず、各主催者は中止や延期、オンラインへの切り替えなどの対応を迫られている。まさか野外フェスの危機がこんなふうに訪れるなんて思ってもみなかった。僕にとっては野外フェスは仕事でもある。経済的には不安を抱えている。
しかも「アフターコロナ」なんて当分来ないらしい話も現実味を帯びてきた。蓋を開けてみれば夏には収まるのかもしれないし、来年の今頃もそんなに状況は変わっていないかもしれない。自分でコントロールできる未来の幅があまりに狭い。
アフターコロナを考えるより、まずは「ウィズコロナ」を考えないとまずい。出血が止まらないのに、リハビリのことなんて考えられないのだ。
最近は、オンラインで配信するタイプのライブ体験が増えてきた。僕自身も「オンラインフェス」をいくつか体験してみた。「あぁ、楽しい!めちゃ楽しい!」と心も身体も踊ったすぐあとに「やっぱり野外フェスが良い…」なんてメソメソしている。当然だけど、やっぱり野外フェスのほうが圧倒的な感動があるわけで。
そんな毎日の中で「野外フェスってなんで楽しいんだっけ?」という問いをなんとなく、考え続けていた。
その要素を取り出すことで野外フェスの価値が明確になる。そうすれば野外フェスの価値を生かしたまま、新しいフェスの形を想像・創造できる気がする。オンラインフェスにだって活かせるかもしれない。
というわけでぼんやりと楽しいんだけど、なかなか答えは見つからない。「フェスには自由がある!」というのはよく言われること。ステージを見なくてもいいよ、キャンプサイトでずっとだべっていてもいい、とか。それはそうなんだけど、本質的な価値ではないなぁと思ってたり。
よく「空き地」と「ディスニーランド」の比較がある。空き地はなにもないからこそ、遊び方を「発明」する必要があるのに比べて、ディスニーランドはなんでもあるから誰かが用意した遊びをトレースするだけだって話。
でも、ディズニーランドだって、アトラクションだけを楽しむ人もいれば、あこがれのダンサーを見つけてその人に夢中になる人にだっている。ショーだけにフォーカスしている人もいるだろうし、意外と自由に遊べたりする。
というわけで、なんでフェスが好きなんだっけ?と問われたときにバチッと答えられないと、ウィズコロナ / アフターコロナな時代に「フェスなんていらないじゃん」って言われちゃう。それは困る…。と思いながら、1ヶ月くらいか。
そうしたら見つけました。この間、お風呂で読んでいた本に書いてあることがズバリ!だった。
曲がり角に立つ現代社会は,そして人間の精神は,今後どのような方向に向かうだろうか。私たちはこの後の時代の見晴らしを、どのように切り開くことができるだろうか。斬新な理論構築と、新たなデータに基づく徹底した分析のもとに、巨大な問いに改めて正面から応答する.前著から約十年、いま、新しい時代を告げる。
この本は、人口も経済も右肩上がりではなくなった今、「これまでの価値観」と「これからの価値観」をいろんなデータを用いながら導き出している本だ。
自分の中で腑に落ちた「なんでフェスって楽しいんだっけ?」の答えを先に書くと
全体主義⇛多様に
手段主義⇛現在を楽しむ
20世紀の悲惨な失敗からの学びが、野外フェスの本質にあった。だからこそ、今、こんなにも多くの人を魅了しているんじゃないだろうか。
ってこと。
世界を変える3要素
この本の最後に「世界を変える二つの方法」という章がある。この中では冷戦の終結が
軍事力による勝利ではなく「西側」の世界の自由と魅力性による勝利
であり
「東側」の民衆は、ベルリンの壁を、命をかけてその内側から解体し
たとしている。
ただし、続いてこう書いていている。
共産主義の壁を打ち砕いて解放された人びとの前に立ち現れた、豪華なショーウィンドウの透明なもう一つの壁は、資本主義の壁であった
このもう一つの壁もまた、自由と魅力性のちからによって、内側から破らねばならない
ベルリンの壁は、ほんとうは、一〇〇年前に、このもう一つの透明な壁を打ち破ろうと試みた、巨大な実験の失敗の残骸であった
つまり、冷戦によっていろいろ問題の多かった社会主義は打ち破られたけど、あのときと同様、いろいろ問題が露呈している資本主義も打ち破っていかねばならない、と。
そのために
だからわれわれは、失敗をくり返さないために、この壮大な実験の失敗の成行の全構造を、明確に把握しておかなければならない。二〇世紀をけた革命の破綻の構造は、端的に言えば、次の三点に集約できる
と言う。この3点とは
否定主義(「とりあえず打倒!」)
全体主義(三位一体という錯覚)
手段主義(「終わりよければすべてよし!」)
これらの詳しい説明は、本を読んでもらうとして、大切なのはここから。
20世紀を通じて繰り広げられた惨たらしい実験の失敗から学び、これから新しい世界を想像するためには、次の3つが大事なのではないかと提示している。
第一にpositive。肯定的であること
第二にdiverse。多様であること
第三にconsummatory。現在を楽しむということ
これは……この3つは、僕が感じている野外フェスの楽しさ、そのもの!!!
お風呂で大興奮だったよね。
POSITIVE|肯定的であること
ぼくが好きな野外フェスはすこぶるポジティブ。フジロックにも、グラストンベリーにも、ハイライフにも、筋の通ったメッセージがある。
フジロックには反核をテーマにしたプログラムがあるし、グラストンベリーにも気候変動への強いメッセージや、社会問題をディベートするテントがある。ヒッピームーブメントから脈々と続く、オルタナティブな姿勢がある。ハイライフは環境教育をテーマにしていて「自然の中で過ごす時間」こそがハイライフの価値とも言える。
ポジティブというと「否定しない」とか「とにかく前向きに頑張る」みたいな話になりがちだけど、そうじゃないだろうなぁと思っている。なにかに反対することだってポジティブな姿勢になるんじゃないか、否定しないとか反対しないとか、そういう何かへの「リアクション」に紐づくような言葉ではないだろうと。
本の中では
肯定的であるということは、現在あるものを肯定する、とうことではない。現在無いもの、真に肯定的なものを、ラディカルに、積極的に、つくりだしていくゆく、ということである。その中で桎梏となるもの、妨害となるもの、制約となるものがあれば、権力であれ、システムであれ、この真に肯定的なものをこそ力とし、根拠地として、打破し、のりこえてゆくということである
とある。あぁ、まさしく!という思い。
課題を乗り越えていく力、解決していく力。それこそがポジティブである、と。
DIVERSE|多様であること
フェスの多様さ。それはいろんな音楽があることはもちろん、音楽以外のあらゆるものがあることだと考えている。
フェスは野外コンサートではない。
様々なアーティストが集い、複数のステージで同時進行で行われるライブ。多くの人の腹を満たすフードエリア。ライブにいかない時間も濃密に過ごすことができるマーケットエリア。寝泊まり、休息するための、宿泊エリア。多くの人を安全に受け入れるための電気や水道、トイレ、道路などのインフラ。夢の世界に迷い込んだようなアート、装飾。
こういった複数の要素が絡み合い、期間限定の街を作り上げるのがフェスティバルだ。
来場者は、身体全てをつかって、主催者がつくりあげた幻想の街に迷いこみ、高揚し、疲れ果て、眠る。全力で体験する。
本当にあらゆるものがある。
CONSUMMATORY|現在を楽しむということ
「コンサマトリー」とはアメリカの社会学者タルコット・パーソンズによる造語で「それ自体を目的とした」「自己充足的」を意味し、社会学の分野で使用されてきた。
誰が出演しようがグラストンベリーに行く、フジロックに行く、朝霧JAMに行く。
毎年6月の終わりの夏至のタイミングで開催しているグラストンベリーは、前年の10月にチケットが一般発売される。そんな先の予定なんて分からないけど、18万枚のチケットが20分足らずで無くなる。
グラストンベリーに行きたいから、グラストンベリーに行く。そんな人たちがたくさんいるのが野外フェスだ。
つまり、野外フェスが楽しいのは当たり前なんだ。だって、20世紀を通じて繰り広げられた惨たらしい実験の失敗から学び、これから新しい世界を想像するために大切な要素で構成されているんだから。
オンラインフェスの体験をアップデートするためには…?
以上を踏まえて、今、いろんな人が挑戦している「オンラインフェス」の体験をアップデートするために必要なんじゃないかと思う要素をまとめていく。
POSITIVE|肯定的であること。
ポジティブが「課題を乗り越えていく力」「課題を解決していく力」だとすれば、そのオンラインフェスがどんなメッセージを発するのか、何のために開催するのかを明確にする必要があると思う。
ステイホームはたしかに大事だ。でも、それだけでいいんだっけ?ステイホームは前提として、どんなポジティブさを内包するかが、今のフェスには大事なんじゃないだろうか。
DIVERSE|多様であること
多様さであることを言い換えると、フェスが市場としての役割も果たしていると言えると思う。実際に「森、道、市場」という名前のフェスがあるくらい。
音楽家が自分の音楽を披露するように、ペインターがライブペイントを披露し、クラフト作家やブランドが自分の商品を並べるお店を出したり、飲食店がご飯やお酒を提供したり、ボディケアやワークショップなどもある。多様な商品やサービスがならび、物やサービスの売り買いがある。フェスの中で成り立つ経済圏がある。
こういったフェスの多様さをオンラインフェスの内包できないだろうか。
オンライン開催となった「Rainbow Disco Club 2020」では、配信を見るためのチケット購入画面に、キャンドルや植物、お菓子の詰め合わせなどが買えるようになっていた。
多チャンネル、音楽以外のコンテンツの充実が大事だと考える。
オンラインフェス(ウェブサイトでは「デジタルフェス」って書いてあった)「366 Village」では、すでにオンラインフェスを開催したRainbow Disco Club 2020の主催者や、m-floのTakuさんのトークがあったり、ヨガがあったりした。さらに、野外フェスと同じようにずーっとDJをしているチャンネルもあれば、タイムテーブルを区切ってライブが見れるチャンネルもあった。
日本最大の環境イベント「アースデイ東京」も例年は代々木公園でフェス形式で開催している。これもオンラインへの以降を余儀なくされ、音楽・トークコンテンツを配信するチャンネルが2つ、トークとNPOなどの活動紹介をするチャンネルが1つと、3つのチャンネルを2日間に渡って開催した。
そもそもディスプレイの前に張り付いていなくてもいいはず。ご飯をつくったり、本を読んだり、植物をいじったり、洗濯したり…。だって、野外フェスではステージの前にずっといる人なんてほとんどいないんだから。
どうやったら、ディスプレイの前にいなくてもオンラインフェスに参加できるんだろうか。例えば良いBluetoothスピーカーを買って、部屋のいろんな場所で聞けるようにしたり。敢えてソファに座って本を読んでみたり。車でドライブしながら聞いたり。ソーシャルディスタンスが保てる原っぱとか河原とかがあればいいんだけどなぁ…。
CONSUMMATORY|現在を楽しむということ
これはまぁ、大丈夫でしょう。フェスが好きな人がフェスをつくれば、きっと楽しい。
こんなふうに、つらつらと書いたけど、今は寂しくてしょうがない。もしかして、野外フェスの要素を全く新しく料理した別のなにかが、野外フェスの代わりを果たしていくんだろうか…と考えるとつらい。
みんな大変だと思うけど、どうにかサバイブしましょう。どのくらい先か分からないけど、必ずまた野外フェスで思いっきりはっちゃけましょう。
だから、ぼくは野外フェスが好きなんだ。