こんにちは。青年海外協力隊員として西アフリカ・セネガル共和国で活動させていただいている山口織枝と申します。今回は、こちらで聞いたセネガルの「ことわざ」について書かせていただきます。
日本や他の国の言葉でも、ことわざや慣用句といったものがあるように、セネガルでも、多くの人が話しているウォロフ語での、léebu(レーブ)という、ことわざのようなものがあるということを知りました。セネガルの人たちに聞いたものを、いくつかご紹介させていただきたいと思います。
「Ndank ndank, mooy japp golo ci ñaay.」
(ンダンクンダンク、モイジャップゴロチニャーイ)
これは「森で猿を捕まえるには、少しずつ(音をたてずに)いかなければいけない」というような意味で、フランス語では「Petit à petit, l’oiseau fait son nid.」(=少しずつ、鳥は巣を作る。)ということわざにあたるそうです。日本語だとこれは、「点滴石をうがつ」という、地道な努力が成果を生むという意味のことわざに当たるようです。
「Mar naan duma tax naan potit.」
(マルナーンドゥマタフナーンポティット)
potitは、洗濯をした後の水を指す言葉だそうで、意味としては「喉がかわいていても、洗濯をした後の水を飲んで良いわけではない」といった具合で、例えば、誰かがお金が無いからといって泥棒をして良いわけではないように、強く何かを欲していても、人としての体面を失ってはいけないというということのたとえを表しているそうです。
暑いセネガルでは(私の任地では最近日中の温度が38度くらいに達しています)水はまさに日々を生きるのにとても重要なものなので、セネガルらしい表現なのではないかな、と思います。
「Lu waay def boppam.」
(ルワーイデフボッパム)
これは、「ある人がすることはその人自身」といったような意味だそうで、人が何かをしたらそれはその人自身に返ってくるというようなことを表しており、日本語だと「身から出た錆」といった感じでしょうか。聞いたところ、どちらかというとネガティブな意味の言葉だそうで、悪いことをしないための戒めの言葉なのかな、と思いました。
「lu kenn mën ñaar moo ko dàq.」
(ルケンムンニャールモーコダック)
これは、「ひとりの人がすることは、ふたりでする方がより良い」といった具合で、何か作業をするならひとりよりふたり、数が多いほうがより良いという、数の力を表しているそうです。
「Ëpp baax na ci laax bu tàng.」
(オップバフナチラー(フ)ブタング)
laaxというのは、セネガルの人が主に夕飯などとして食べる、穀物を煮たお粥のようなもののことで、これは「あおいで熱いラー(フ)を冷ますことは良い」という意味で、たとえばいつも挨拶を忘れている人がいるとして、その人に他の人がそのことを注意した後、挨拶をするようになった、といった場合など、忠告などによって物事が改善することを表現している言葉のようです。
ほんの少しだけですが、セネガルの人から聞いた表現をご紹介させていただきました。色々なフレーズがあって、面白いなと思うとともに、どこの世界にも同じようなことを表すことばがあったりするのは人の社会の持つ共通性のような気がして興味深いなと思いました。
知らないことは、知れば知るほど沢山あるということに気づいていくような気がします。日々学びですが、私事ですが、任期も残りが少なくなってきました。太陽の光のさんさんと降り注ぐセネガルの土地から、パワーに満ちた人びとのダイナミズムを、少しでも吸収してまた伝えさせていただくことができたらな、と、思います。
参考文献:
Jean-Léopold Diouf (2003) , ‘Dictionnaire wolof-français et français-wolof’ , KARTHALA.
小学館 ロベール(1988)『仏和大辞典』
小学館『デジタル大辞泉』