先日亀の“カメちゃん”が逃げた。
名前は、色々つける事にチャレンジはしたが、結局定着しないままきた。個性が分かりづらいのが名前をつけられない理由かもしれない。すごく明るい名前をつけて、物静かな内向的な亀だったら、、とか、そこまで深く考えた訳ではないけど、見た目も亀らしい亀で(笑)、口元の色づかいに特徴があるくらいで、大きな傷や特徴も特にない。
30年飼った亀だ。
子どものころ、たまたまデパートの文房具コーナー横に仮設されてた夏の風鈴売り場の下に、水のたっぷり入った小さな虫かごみたいなのに一匹づつ入れられて売られていた。小さな4cm程度の体で、両手両足パタパタして必死で泳いでいる姿が本当に可愛らしくて、相当気楽に買った。飼いはじめた〜というより、買っただけのつもりだった。
母は私が14才の時に買ったと言うし、私は18才だった時だと思っていて、2人とも怪しいので、16才だったのかもしれないが。ともかく30年以上飼ってきた亀だ。上の子が産まれてしばらく、水替えなどやりきれないと可哀想だからと、実家に数年帰省していた時もあった。あの時は新幹線で往復した。
これまで長くいて、多忙な我が家でそっと共に過ごしてこられたのは、丈夫なのと、冬眠の時期があるのが大きかった。特に、今の家に引越してきてからは冬眠時期が長くなって、山の家で寒いせいもあってか11 月から4月中旬くらいまでじっとしている。ちゃんと眠れるようになったからか、こちらに来て大きな水槽になって、体も大きくなったからなのか理由は分からないが、毎年夏至をすぎた頃から落ち着きがなくなり、大食らいになり、大暑あたりまでの満月近くに産卵をするようになった。もちろん無精卵だ。素敵な彼と暮らしておらず、ずっと1匹だから。
そうそう、卵を生んでからメスだと分かり、ここ3年で“カメちゃん”という呼び方は定着した。それまでは、カメ助とか、カメ太郎とか、そう呼ばれていた時もあったから。
旅する亀
種類はクサガメで、彼女たちは水が好きだけれども、産卵は砂地でするらしい。たまに、この時期に外に出してやると、庭のすみの土を掘り出す。今思えば、なんとしてでも、カメちゃんの家の中に砂地を作ってやればよかったのかもしれないが、産卵というのは、人目のつくような所では出来るだけしたくないものだろうと同じメスとして思うから、関係なかったかもしれない。
また、所謂入れ物としての亀の家としてはすでに大きすぎるくらいに大きく、水替えまでも考えると、都心で今も住んでいたら困っただろう大きさの水槽だ。だから、次にやるなら、池でも作ってやらないと仕方ない程の大きさだから仕方なかったのだけど。・・・こうして、逃げ出してから、自分を責めたり、なだめてみたりして過ごしている。
実は、今から10年ほど前に、今の半分くらいの大きさだったころ、水槽に雨水が入って溢れてしまい、逃げ出したことがあった。ここからは、信じたい人だけが信じてくれればいいが、いなくなって1年以上たったころ、ある日、当時の我が家の前の道路の歩道を一匹トコトコ歩いてきたのだ。この亀のことを、連れ合いは「別の亀じゃないのか?」と言ったが、私は疑っていない。うちの“カメちゃん”が戻ってきた。そして、亀を飼っている人に言わせると、逃げ出して戻ってくる〜というのは、そんなに珍しいことではないらしい。
今度はどうだろうか?
戻ってくるだろうか?
たまに朝の水替えの時に、亀を好きに散歩をさせてみる。それを、座ってぼーっとみていると、まるで瞑想のような静かな気持ちになる。太陽の光がまぶしいことに気付いてから、頭を太陽の方に見上げるだけのゆったりとした動きだけでも、同じような気持ちで見ていると、どれだけ気持ちが静かなのか、今に集中しているのか、に気付かされる。特に冬眠開けの様子は愛おしい。でも、危険を察知すると、すぐさも頭や手足を引っ込める。エサを食べるときなどの俊敏さはすばらしく、とても不思議な気持ちになる。
生きているだろうか?
お腹をすかせていないだろうか?
クサガメは、神社の池などに勝手に生息しているような種類だから、食べ物はなんとか出来ているのではないか?と思う。何より、前の旅よりも、自然は豊かな場所なのだから、小さな生き物はたくさんいるから。
この旅で、素敵なクサガメのオスに会えるといいな、と思う。前の旅と違って、もう今は立派な大人のメスになったのだから。有精卵の卵を生んでみることが出来たなら、それも素敵だと思う。あと、豊かな色んな水辺の生き物、虫たち、魚にも、会えたらいいなと思う。
そうして、そうして、旅して疲れて、もしなんとか戻ってこられたら、また会いたいな〜と思っている。カメちゃん、待っているからね。
どんな顔をして帰ってくるだろう。
そうして、もしまた会えたなら、新しい名前をつけられそうな気がしているのだ。