どこで生きる?何して生きる?【コラム|感じるために生きている】

「どこで生きる?」という投げかけの言葉からは、<生きる場所は自分で選択出来る>という自主性と自由を感じる。だが、どの位の人が、自分が生きる場所を自分で選択できる、、と思えているのだろうか?

22042009_1602975723057817_2509974099529136545_o

「どこで生きる?」
アースガーデンフリーペーパー vol.38
http://www.earth-garden.jp/feature/fp38

私は岐阜の陶器の町で生まれ育ったのだが、父が釉薬(ゆうやく:陶器の上絵付けの絵の具)の職人であったことから、子どもの頃、その粘土の採れる土地・窯のあるあの町から出て生きるという選択を、想像することすら知らなかった。今東京にいることが本当に不思議なことで、大学生のときも、都会にでるとしてもまだしもカルチャー的に近い大阪だろうと思っていたし、野心に満ちた何者かになりたい人がごちゃごちゃいる(当時そう思っていた)ような東京には行きたくないと思っていた。

住む場所を選択する自由があることに気付く

s_andre-benz-256762

私自身もそうだが、多くの人は、結婚相手の住んでいる場所だとか、どちらかの両親の近くだとか、実家に帰るだとか、会社に通勤しやすい所や、仕事の転勤先でだとか、そういう生きる都合でたまたまご縁のあった場所で住みつくことの方が多いだろうと思う。

ということは、「どこで生きる?」という積極的な投げかけ自体が多くの人にとっては肩すかし的だが、改めて言われてしまうことで、選択肢を見過ごして生きて来たことに気付くような、興味深い投げかけとも言える。生きる場所を好きに選ぶなんて、老後の楽しみでしょう・・とも思う人も多いだろうから。

やりたい事から住む場所を選ぶ

s_jason-blackeye-217162

でも、やりたい事があったらどうだろう?と思う。例えばだけど、自然の多いところで畑をもって野菜を作りたいから田舎に住むだとか、サーフィンが毎日やりたいから海の近くに住むとかいう自然環境による選択はあるだろう。でも田舎で暮らしていても、地元の自然やそこで生きている人びとと関わりをもたなければ、一方的に受け取れる自然の恵みや空気や水の美しさ、大変な草刈りやカビとの追いかけっこなどのあれこれだけで、さほど関係がない。自分の気持ちがそこにないからだ。都会で暮らしていてもそうだろう。ただの便利のいい場所なのか?地域のコミュニティの一員として、関わるか?で、その場所で生きる意味が違ってくる。祭が盛大な町に住んでも、御輿をかつがなければ、祭を見つめる視線は、ただの観光客とそう変わらない。

そこで生きる意味を持たせていくのは、環境でなく、自分の生き方の問題だと思う。

別の言い方をすれば、どこで生きていても、その人が望む生き方がはっきりしていれば、その場所の中でも、100点満点とはいかずとも、その人らしい生き方を見付けていくことは出来ると思う。都会の菜園などもその一つだろうし、週に1回だけ朝まだ暗いうちに起きて車で3時間の海にサーフィンをしにいくというようなライフスタイルだ。

私は、東京都民でありながら、鹿熊でるような田舎に8年前に引越してきた。家選びは、私自身が引き寄せたと言って過言でない出会いと確信によるが、実情は、子どもの高校通学の問題や、都心での賃貸暮らしの家賃と自分たちの求める家の広さとのバランスに限界を感じたから。

田舎暮らしは、私自身の個性としても、大きな自然と共にある場所、水がたくさん満ちあふれているところ、空気、月や星がきれいに見える場所に引き寄せられたのは、自然な流れであっただろうと思う。

そして今やっと子育てが一段落して、この土地と自分の生き方とを摺り合わせていく事を少しづつ想像しはじめている。

8年前の自分が希望していた未来

s_kelly-sikkema-273133

実は、先日8年前の当時のオフィススタッフみんなで「10年後の自分へ」という自分にあてた手紙を書いて入れたタイムカプセルの缶を開けて、自分の手紙を読んだのだった。本当は10年後に開けるつもりのタイムカプセルだったが、何年前に書いたのかよく分からなくなってしまい、みんなに送る時期を確認するために、タイムカプセルにいれた自分の手紙だけを開けて読むことになった。

その手紙に「この家は(今住んでいる家)、10年後には公に使われる場所になっているようでありたい。」と8年前の引っ越しした当時の自分が書いていたのを読んで、とても驚いた。そして、あの時、メンタル的に最悪であったはずの自分の根拠のないこの家と場所のもつ開放的で穏やかな空気感に予告めいた感情を抱いていた、あの感覚を思い出したのだった。自分の住む家とは別に、困ったときに気兼ねなく人がかけこめるような場所・・そんな家を作りたいな〜と思う。この街の自慢であり特産物であるトウモロコシとのらぼう(葉っぱ)とこんにゃくを堪能できるような、何かもやりたいな〜とか。自分で靴下をあめて、自分で着る服くらい、自分で縫えるようになりたいな〜とか。夢だけはいっぱいある。

まぁ、公かどうか?で言えば、今でも充分に出入りする人の多い家ではあるが、そろそろ私もこの場所と繋がって生きてく時が来つつあるのだろうと、最近思う。森と川の流れと一緒に年を重ねる。最近は、そういう生き方について、あれこれと想い描いてみたりしているのだ。

アースガーデンの母が書くコラム「感じるために生きている」
http://www.earth-garden.jp/feature/life_for_feel/