非日常のフェスは楽しい。でも本当に楽しくするべきは日常ーー。津田大介さんに聞いた #フェスティバルってなんだ

日本中で、季節を問わず、様々な規模の音楽フェスティバルが開催されています。ちょっと多すぎるのでは?と思うこともしばしば。しかし、これだけ増えているということは、社会的なニーズや世相を反映していると言っていいでしょう。では、現代社会がフェスティバルに求めているものとはなんでしょうか?そして、フェスティバルは、社会的にどんな役割を果たせるのでしょうか?

今回はジャーナリストの津田大介さんに、地域とフェスティバルの関係についてお話を聞きました。あらゆるカルチャーのニュースを配信する「ナタリー」の共同創業者であり、音楽好きとして知られている津田さん。今年の8月から75日間にわたって開催される「あいちトリエンナーレ2019」の芸術監督を務めることでも話題です。取材にあたっては、自身で主催されている音楽イベント「LIVE FUKUSHIMA」の会場にお邪魔しました。

アースガーデンフリーペーパー、2019年春号から転載

フジロック1回目を途中で断念した挫折体験

津田さんとフェスティバルの出会いは、あのフジロック1回目でした。まだ日本に野外フェスティバルが浸透しておらず、来場者も主催者も対応が圧倒的に不十分。さらに、台風による悪天候と、山間部の急激な温度低下が会場を襲い、混沌と混乱を極めに極めた、あの嵐の天神山…。

「まずは、最寄駅までの電車が信じられない混雑。なんとか駅についたら、次は果てしなく続く送迎バスの行列に並ぶか、数時間歩いて会場に行くか。どちらにせよ、絶対に開始時間には間に合わないわけです。しかも、僕はTシャツ・短パン・傘みたいな格好であまりにも無防備。さすがに心が折れてしまったんですね。最寄りの駅から引き返しました。もうトラウマですよ。会場が豊洲、苗場と変わって、周りの友人も行き始めましたが、僕はその後も頑なに行かなかったんです。自分はフェスティバルには縁がないんだと」

しかし、津田さんは2005年のフジロックに行くことなります。きっかけは、当時流行っていたSNS「mixi」でした。

「mixiの友人たちの日記に、どんどん写真がアップされて、めちゃくちゃ楽しそうなんですよ。『あぁ、フジロック、行ってみようかなぁ』と。意を決して行ってみたらね、こんなに楽しいことがあるのかって感じでしたよ。あの頃は体力もあったので、とにかくあらゆるステージを巡って。これからは絶対、毎年行こうと誓いました。実際、その後行けなかったのは1回だけです。2012年からは、トーク枠の出演者として参加しています」

その後、仲間内で評判の良いライジングサンロックフェスティバルにも参加するようになり、今ではすっかりフェスティバルの魅力に取り憑かれているようです。

フェスティバルへの移動時間が、人生を変えていく

そんな津田さんにフェスティバルの価値とはなにか、聞いてみました。

「どう過ごしても良いという自由度でしょう。ステージ前に行ってモッシュに参加してもいいし、後ろで椅子に座りながらゆったりしても良い。日常の自由が減っている反動かもしれません。仕事のしがらみは多いし、社会も抑圧的になっていますから。日頃の不自由から抜け出す開放感は大きなパワーになっていると思います。でも、本当に楽しくしなきゃいけないのは、地元に戻ったあとの日常ですよね」

フェスティバルは楽しい。でも、フェスティバルは1年のほんの数日間です。残りの360日あまりをどう過ごすかのか。逆に言えば、フェスティバルで得たことを日常にどう活かしていくのか。

「遠くて行きづらい場所で開催しているフェスティバルであれば、移動に長い時間がかかる。この移動時間が大事なんです。いろんなことを考えられるから。自分の住んでいる場所から、電車に揺られ、車に揺られ、会場に着いて楽しみ、同じようにまた帰る。その行き帰りの時間を使って、自分を振り返るわけです。『なんでこんなに楽しいんだろう。そうか、日常が不自由だからか。じゃあ、日常を自由にするのはどうしたらいんだろう…』とかね。こんなふうに、フェスティバルで過ごす日以外の人生も少しずつポジティブな方向に変えていかなきゃ」

いつも過ごす場所とは、異なる環境に身を置く。芝生を踏み、砂利道を歩き、雨に打たれる。昼間の暑さで汗が吹き出し、夜は寒さで身体が震える。巨大なスピーカーから地響きのような重低音が届き、アーティストは時に神がかったパフォーマンスを見せる。

そんなフェスティバルの非日常と、日常の間にある移動時間。この時間での自分自身との対話が、人生を変えるほど強い体験に、フェスティバルを濃縮していくのです。家から離れたローカルフェスティバルへの参加は、不便さと引き換えに自分の人生に大切な時間を与えてくれます。

その地域でしか得られない体験を、フェスティバルに活かす

移動距離で自分を見つめなすことで、人生を変えるような、かけがえのない体験にできる、と。しかし、アクセスしづらければ人も来ない。どんなローカルフェスティバルなら、人が集まってくるでしょうか。

「そこでしか得られない体験を求めている人は多いと思います。他のどんなフェスティバルでも体験できないオンリーワンな体験。そのためには、地域の中の人と外の人が協力して、地域の本質的な魅力を発掘する必要があります。なぜなら、地域の本質的な魅力を探すには、外からの目が必要だからです。地域の人が見慣れていることや飽きるほど日常的なことに、魅力は隠れています。それに地域の人が気づけば、観光資源として活かすことができる。フェスティバルにも活用できるでしょう」

津田さんは東日本大震災のあと、地域の特性を活かした音楽イベントを主催しました。2011年6月11日に開催した「SHARE FUKUSHIMA」です。出演者は、渋谷慶一郎と七尾旅人でした。「福島の被災地を見て、その場で音楽を奏でたい。でも、自己満足でやるのではなく、僕らが向こうで音楽を奏でる必然性を作ってほしい」と、別々に、まったく同じオファーをもらった津田さん。開催にあたっては、料金に寄付金を含んだバスツアーを組み、ボランティアをしてから会場に向かいました。

「当時、まだインフラもままならない、いわき市。人を集めてイベントを開催するのは、かなり無茶なことでした。しかし、明確に、あのとき、あの場所でしかできないことでもありました。人生初のイベントのプロデュースでしたが、自分の中で大きな変化の起点となりましたね。SHARE FUKUSHIMAを主催しなければ、あいちトリエンナーレも引き受けてなかったと思います」

SHARE FUKUSHIMAの後、津田さんはもうひとつイベントを主催することになります。それが「LIVE FUKUSHIMA」。震災や原発事故によって傷ついた地域の人々の誇りを回復し、未来の子供たちのために山一面の桜を残そうと、ボランティアで桜を植樹し続けている場所「いわき万本桜」で開催されています。2016年から始まり、今年で4回目。

「いわき万本桜は、年に10回くらいは訪れる大好きな場所です。地域の人と交流しながら、企画を進めています。イベントの目的は、植樹のボランティアを増やすこと。将来的には、周りの山も使ってフェスティバルができればいいなと考えていますが、焦らずゆっくりやればいい。ローカルフェスティバルは地域に愛されないと続けられませんから」

1年に1回きりではなく、継続的に開催できるフェスティバルへ

ローカルフェスティバルはただ大きくすればいいというものではありません。人が集まれば問題も起きる。地域の人の受け取り方もさまざまです。ローカルフェスティバルが地域に愛されるようになるには、何を大事にしたら良いのでしょうか?

「1年に1回の関係性ではなく、継続的な交流と恩恵を生めるといいですよね。石巻で開催している『Reborn-Art Festival』は、音楽フェスティバルとアートフェスティバルがミックスされて、継続的に集客できる良い取り組みだと思います。音楽は人を呼ぶ力があるし、現代アートは造形物として地域に残り継続的に観光資源になる。ローカルフェスティバルは、長期的に地域へ人を呼ぶ可能性をもっと追求してもいいのではないでしょうか。あいちトリエンナーレでも音楽と現代アートの融合を考えていて、すでにサカナクションのライブを発表しました。できれば毎日ライブを開催したいのですが、予算との戦いですね(笑)」

全国で日々開催されているローカルフェスティバル。地域に根づいた文化や風土をうまく活かせれば、他の場所では体験できないフェスティバルを開催できます。その価値をより活かしていくために、短期間で終わりではなく、より長期的に、より多くの人に地域の良さをアピールできるように仕組みをつくっていく。

あいちトリエンナーレやReborn-Art Festivalでは、音楽と現代アートをミックスする挑戦が行われている最中です。もちろん、地域との綿密なコミュニケーションがあってこそ。それぞれのローカルフェスティバルが独自に進化していけば、フェスティバルは流行りではなく、文化として地域に根づいていけるかもしれません。

写真:須古恵