アースガーデン30周年記念に思い出を書いていきます
みなさん、こんにちは。アースガーデンの田川登美子と申します。連れ合いの南兵衛とアースガーデンを立ち上げて、今年で30周年を迎えます。代々木公園の主催イベントのearth gardenは25周年。2人だけで何かが出来たことなどなく、スタッフだった面々や周りのたくさんの方達に支えられてここまでやってこられました。その日々を振り返ると本当にうれしく、感謝の気持ちで一杯です。読んでくださっているあなたにも、ありがとうございますと言いたいです。
毎日がフェスティバルだった私の30年
知っている方もあるかもしれませんが、南兵衛(今後「N氏」)は、もう20年ほど前に『フェスティバル★ライフ: 僕がみた日本の野外フェス10年のすべて』(マーブルブックス) という本を出しました。

先日、オフィスの大掃除中に目に止まって久しぶりに開いたら、フジロックのボス日高正博さんのインタビューのページでした。その中の日高さんの1つのコメントが、私のフェスティバルライフの出発点に触れた気がして、とても懐かしくなりました。
「俺にとってフェスティバルっていうと、だいたい夕方に日が暮れてくる頃ボケーッと座ってるとさ、ジェネレーターの音が聞こえてくるんだよな。(中略)音楽があっちから聞こえてきて、草の香りがして、ついでにトイレも少し臭ってきて(笑)。そういうのが俺にとってフェスティバルだよ。」

これは主催者ならではの感覚かもしれませんが、私にとってアースガーデンをやりながらの子育ての日々は、こういう時間と共にあったと思います。様々な音や匂い、日中ドタバタ走り回って、だいたい毎日保育園で1番最後に息子を迎えにいった帰り道、買い物袋を自転車にぶら下げながら息子たちと帰る時の夕焼けの空の下、何も考えられないようなぽかーんとした心。口もぽかーんと開いていたかもしれません。

変わらない願い
私の願いは大学生のころから変わりません。豊かな自然に感謝しながら、知恵と思いやりをもって生きていけること。健やかであること。平和であること。私の30年が、それに対してどれだけ効果をもたらしたか分かりませんが、イベントを通して表現できるひとつひとつをみんなで協力して積み重ねてきました。その願いがあったからこそ、なんの未来への確証もないフリーマーケット開催を始めるとき、自分たちなりに貢献したいと願ってつけた名前が「アースガーデン」でした。
フェスティバルは、仕事の中にも、暮らしの中にもあった30年。フェスのなかった時代から、フェスが当たり前になった今へ。懐かしく、どうしようもないようなエピソードを書いていきたいと思います。私にとっての30周年の小さなお祝いです。滑稽でドタバタした日々が、素敵なフェスを微力ながらも支えさせてもらった愛おしい日々の思い出(私が滑稽なだけで、スマートにこの業界で仕事されている方もたくさんいます!羨ましい)。
何回か連載していきますので、よかったらお付き合いください。