連れ合いの南兵衛(N氏)とアースガーデンを立ち上げてからの30年のエッセイ。フェスティバルは、仕事の中にも、暮らしの中にもあった。フェスのなかった時代から、フェスが当たり前になった今へ。26歳の私から物語がはじまります。はじまり、はじまり。
前回のお話はこちら
https://www.earth-garden.jp/goodlife/79838/
自宅出産
私たちのスタート地は、不忍の家近くの下町のアパートの2階の一室。田舎から上京して数ヶ月で妊娠して、アパートで自宅出産したのもちょうど30年前のこと。そう、アースガーデンはうちの長男が8ヶ月の時にスタートした。

赤ん坊の鳴き声とおっぱいやオムツの匂いと共にはじまった。もし若い人がこれを読んで、アパートでの自宅出産と聞くと時代劇みたいに思うかもしれないので一応言っておくが、当時でも自宅出産は稀だった。
でもおばあちゃんの助産師さんでなく、一昨年くらいに公開された自作出産がテーマ映画『1%の風景』(出産の中で自宅出産を選ぶ人が全体の1%という意味)にも出演されていた神谷整子さんに取り上げていただいた。すばらしい経験と出会いだった(*1)。
当時は今よりは自宅出産の人が多かったが、若く優秀な助産師さんで、色々な出産方法のあるなか、不安もあったけれども自分たちで選んだのだった。
息子が生まれた時には、それぞれの親が駆けつけるだけでなく、暮らしの中でふいと小さな人間が1人増えたことを、1階に住んでいたロボットを研究していた東大の学生くんやお向かいのおばちゃんたちも喜んでくれた。
下町での子育てがスタート
山がなく、人の多い東京の下町のアパートで息子と2人きり。夜遅く仕事から帰ってくるN氏との結婚生活は暮らしの細々したことで折り合いをつけるのに必死だった。友達らしい友達もまだいない中、息子の夕暮れ泣きに一緒に泣いてしまうような日々を送っていた若かった私に、フリーマーケット開催の話が舞い込んできた。
産後すぐにおきた阪神・淡路大震災から半年くらいたったばかりで悲しい気持ちが心の底の方にずっとあった頃。会場だった湯島聖堂の若い担当者さんがN氏の働いていた若者ばかりのGAIAという自然食品店に相談してくださったのがきっかけだった。昔万博会場だった湯島聖堂で、また人が楽しく集まるようなことがしたいということで、フリーマーケットを開催することになった。

そうして、全てが一気にはじまった
私は、東京に出てくる前は、名古屋にある中部リサイクル運動市民の会という団体の企画部にいて、久屋大通公園などで毎月フリーマーケットを開催していたので、準備や運営には不安はあまりなかったが、続けるためにも少なからず売り上げを立てたかった。
でも、この息子と対峙しつづけるような毎日で、物事を落ち着いて考える余裕もないままに、開催まで1日1日と近づいていってしまう。出店者が集まらなかったらどうしよう。楽しんでもらえなかったらどうしようと、でも、この不安でさえも向き合うこともできないままに、取り込んだ洗濯物の山の真ん中で息子と2人しゃがみこんで、今日を生きるのに必死だった。
息子が可愛くて笑って、泣いて、仕事でさらに笑って、さらに泣いた日々。振り返ると本当に滑稽だが、当時の私に届けられることなら、「よくがんばっているよ!大丈夫だよ!」って、全力で応援を届けたい気持ちになる。
〜その2 『涙のチラシ配り』に、つづく。
(*1)私の出産と助産師さんとの出会いについて書いたエッセイはこちら。
https://www.earth-garden.jp/goodlife/45616/
