官邸前抗議市民グループと野田総理大臣との会談、僕自身も参加したあの場を用意したのは、311大震災当時の総理大臣だった菅さんでした。その意図や在り方にさまざまな賛否もありますが、市民運動の現場を経験して政治を志し、40年近くを過ごしてきた菅さんから学ぶべきものは大きいはずだと、僕たちは扉をノックしました。
菅直人 前総理大臣
市民の活動にとっての武器は、あきらめない粘り強さ。
人によっては、ライフスタイルを丸ごと変えるぐらいの
エネルギーと覚悟を感じる、新しい運動
南兵衛「まず、菅さんは今も広がり続ける、脱原発への市民の動きをどうとらえていらっしゃるんですか?」
菅「今、私たちの目の前の現実は、原発ゼロに早く行きたいという本当に多くの人々がいて、一方に今までどおりの原子力体制を維持したいという、こちらももの凄く大きな社会的なパワーのある勢力があって、それが激しく色んな形でせめぎ合っている、そういう状況です。
60年安保、そして60年代終わりに私自身も走り回った学生運動、そして今回の官邸前抗議を筆頭とした市民の動き。大きな社会的な運動としては、この三つが私の記憶と体験としてあるんだけど、先の二つと今回とは大きく違うと思うんですね。
これまでの運動というのは、政府に対して抗議をするとか反対するとかが基本だったけど、皆さんの官邸前抗議を象徴とする今回の動きというのは、もっと自分自身が考えていることを意思表示する、そしてその先で自分たちが変わるんだと生活まで変えていく、今までどおり夏にクーラー点けっぱなしで暮らせなくてもいいんだと、人によってはライフスタイルを丸ごと変えるぐらいのエネルギーと覚悟がある、そういう新しい運動だと感じています。」
南兵衛「ドイツ市民の動きと共に原発ゼロが実現します。」
菅「ドイツの場合は、チェルノブイリの86年以降に動きが始まって、ただ直線的にダーッと脱原発にいったわけではなくて、一度は20年近くかけて原発ゼロ、脱原発すると決めたのが、政権が変わって後ろ倒ししかけていたところに福島の事故があって、またあらためて脱原発へと舵を切ったんですね。
これはメルケルさんが物理学者で、原発の限界がよく分かったからだ、なんて話しもあるけれども、実際は福島の後にドイツでは緑の党の支持率がドーンと上がったり、地方選挙でも躍進したりという、市民社会の反応と現象を見たからこその変化だったと思います。
私は去年の12月にドイツに行って、経済界の人を含む色んな関係者に話しを聞いてきましたけど、そんな20年余りの議論のプロセスがあって、経済界も労働界も、論争から合意形成の段階に入っていたからこそ、福島の事故の後に速やかに原発ゼロの判断ができたんですね。
そういう意味で、日本では事実上311大震災から脱原発の議論が始まったばかりでまだ1年半、このたった1年半で皆さんの頑張りもあって状況は大きく動きましたけど、それだけに原発を維持したい人々の反発も強く、猛烈な巻き返しも起こっています。
この状況をよーく見極めながら、いかにして脱原発の方向に社会全体が進むことがどうすればできるか、そういう激しいせめぎ合いのまっただ中に、私たちは今いるわけなんです。」
選挙運動が、本当に楽しいものだと思った
南兵衛「原発ゼロを社会と政治で決めても、僕たちはこれから少なくとも20年、30年と見守り続けなければなりません。その長さにがく然とします。
菅「そこで大事なのはまさに『諦めないこと』ですね。
私が30歳で始めて立候補した時、無所属だったから政治団体を作ったんですけどその名前が『あきらめないで参加民主主義を目指す市民の会』といったんですよ。最初から『あきらめないで』って入れていたんですね。あらゆる運動や活動がやっぱり大きな壁にぶつかるわけで、その時にあきらめるか?あきらめないか?あきらめなければ可能性は残るわけで、その頃も『命をかけて』なんて言う人たちもいたけれども、私は『人生をかけて』取り組んでいきたいと、そう実感で思っていましたね。市民の活動にとっての武器は、あきらめない粘り強さ。それこそが一番の強力な武器じゃないかと思いますね。」
南兵衛「僕自身ももう覚悟を決めて死ぬまでやるしかないと、そしてならば楽しくやるしかないと思っています(笑)」
菅「そういう意味では、小さな市民運動から始まって、市川房枝さんを担ぎ出して選挙をやった時、選挙運動っていうのが本当に楽しいものだと思ってね(笑)。私が27歳の時に一度は引退を表明した80歳の市川房枝さんにもう一度がんばってもらって皆で盛り上げてね。
大学祭のノウハウを選挙に持ち込んだのがポイントで、一番大事だったのは「仕事を作る」ってことで、あるときは大学生のグループに選挙事務所の前で何日もズーッと喋ってくれマラソン演説をしてくれと仕事を作って、何でもイイからとにかく喋り続けてくれと言ってね。そして続けているウチにどんどん上手くなってマスコミも来て、人も集まるようになってね(笑)。」
南兵衛「まるで今の官邸前抗議みたいですね。毎週毎週とにかくやり続けて注目を集めていきましたからね、僕たちも。そして、人が集まるだけで楽しくなってくるところもあれば、ファミリーエリアを作ったり、色々と工夫もします。そういう、粘り強く楽しく続けるところに共感して、対話の場づくりや、野田総理との会談までつないでいただいたんですか?」
菅「そうですね、最初は少人数で続けてきて、その姿を私も見ていたしね。
皆さんが、あきらめないで自分たちの想いをね、とにかく伝え続けようとしている、そういう根っこに感じたところはありましたよね。
今、全国で数十人規模まで含めて小さなデモとかが増えているけど、抗議という以上に自分たちの意思表示ですね、そこがもの凄く大きいと思っていて。最初にも言ったように、自分たちが選んだ以上はそこで発生するコストも、未来への責任も自分たちで引き受けると、そういう想いの表現だと思って見ていましたね。」
脱原発法制定への動きが始まっています
菅「皆さんはアースデイをやられていると言うことですけど、やっぱりアースなんですよ。そしてもう一つはサン=太陽でね。地球って言うのは太陽があってそのエネルギーで生物が生きているわけで、その太陽を地球の上に作ろうとしたのが原発だったワケだけれど、太陽は1億5千万キロも離れていて放射線もかなり弱まって届くわけで、それをたった100年足らずの技術で地球上に作ってしまったのが原発で、それと共存できるのか?ということで。
今、脱原発を明確に進めるために、大江健三郎さん達との動きとも一緒に『脱原発法制定全国ネットワーク』が始まり、すでに前期国会の閉会前に脱原発法が国会提出されて、超党派で100名以上の国会議員が賛同しています。これから先どこかで選挙もありますけど、この法案に賛成か反対かでその候補者の姿勢も明確になり、着実に脱原発を前に進めいていけます。ぜひ多くの人に応援と参加をして欲しい動きです。」
南兵衛「原発ゼロを明文化した『革新的エネルギー・環境戦略』が閣議決定されない動きに対して、NGO/NPOの側からこの戦略を評価し、脱原発派の議員やその動きを応援しよう、というやり取りも始まっています。
菅「それはいいですね。政治家にとって、批判をされることは怖いけど、応援されることではもっと影響されますよ、本当に。
そしていまだにメディアなんかはこの原発問題を昔ながらの「権力 対 反権力」という構図で伝えたがるけど、実際はもう既にちょっと違いますよね? それは、ただ反対したり抗議するということではなくて、まさにみんなが自分の生き方をどうするか、という事だからなんですよ。
これから本当にいろんなことをやっていかなきゃいけない。まだ私たちには思いもつかないような新しい動きがもっともっと必要です。それこそ皆さんがイベントが得意なら、そういうチカラでも、新しい場づくりをぜひやっていってもらわないと。」
南兵衛「脱原発、そして日本の市民社会は今、待ったなしだと思っています。僕たちもさらにがんばります。ぜひ、これから色んな場づくりで菅さんのチカラも貸して欲しいと思います。一緒に日本の市民社会の成長の場を作っていきたいです。」
写真:須古恵